2010-03-01から1ヶ月間の記事一覧
時間があって、しんとひとりになりたいときに歩く、会社からの裏道。はじめはちょっと寄り道しようと枝分かれの坂道をのぼって。行きたい方向から反れる方向にしか道が続いていなくて、おうちに帰れなくなった猫のようにどんどん心細くなった。これは後戻り…
目が合った。
すっきりと起きた朝。ちゅんにバナナを切って、植木に水をあげる。ラナンキュラスは4本咲いていたけれど、切り花にするのはやめた。チーズオムレツを焼いてトマトとヨーグルト。ちゅんと一緒に食べる。2日もためてしまった洗濯物を干す。今日はよく乾きそう…
今日は朝からAAPAの稽古でした。大きな樹はいったん切られて切り株になって、それが伸びて胸の高さほどのところに年輪が見えていました。春の若い葉がずいぶん高いところを一面覆っているようで、わたしたちの肌までみどりに染まるようだった。土は少し湿っ…
ひさしぶりにSちゃんと逢う。舞台に来てくれてひとことふたこと交わすばかりでゆっくり話すのは久しぶり。逢ってすぐ、なにかどきりとする。なんだか大人っぽく見えて。話すうちにああ、やっぱり内側は変わらない、と肩のちからが抜ける。この2年で纏ったも…
どこかこの先へ発展してゆくのではなく、ずうっと自分のなかの螺旋階段を降りていってさぐる。視線はうんと遠くを見つめるし、皮膚はいつもしらない空気を求めているけれど、いつも耳は、からだの奥をおくを、きいているかもしれない。死者の場所を町の外に…
去年(だったよね?)お邪魔したAAPAで一緒に踊っているみのりちゃんちにて。鍋プリンを切り分けてくれているところ。 みんなでお祝いごとの写真をスライドショーで見た。わたしは駆けつけられなかったので、はじめてみた。 その場所のわたし、というも…
それ以上進めないとわかって後ずさりするところからたぶん切り替わったのだと思う。いつもそうだ。あの港がはじまりなのかわからないけれどいつも頭をよぎる。きっとくりかえし重ねるあいだに、そこに疵のように分けてしまったのだろう、茶色の背広ズボンを…
AAPAの本番会場下見。会場…というか、ほんとうに電車の高架下でした。高架下に四角いたてものが入っていてその屋根と高架の隙間が舞台という…。踊る場所、一番高いところで120センチくらいしかないそうです。首を曲げなきゃ踊れません。手や足は上げられ…
風の音をききながら暗闇で目を開けて、『桜桃の味』のことを思い出した。迷わないように目をあけたままブラジルの埋葬された赤ちゃんのことも。それにしても、ひとの棺おけほどのスペースにも雨は等しく降るのだ。+犬の足の裏がその一日を語っているように、…
声がしたように思ったけれど私の目覚めだった夜をめくるとそのむこうには夢のない眠り暗闇のなかには凍結寸前の息づかい圧力を持った低温におののく抜けだそうという反射を肘から染められてゆくからだを護った瞬間目の前がすべてひらけていることに気づくガ…
今日から、セルリアンタワー能楽堂で中村恩恵さんの舞台があります。きっと面白いのでぜひ。---------------------------------------------------------------------------●伝統と創造シリーズVol.3 フレデリック・ショパン生誕200周年記念 『手の詩』第一…
ふたたび、1月の写真展のこと。実際の展示のとき、あまりなにも考えずに貼り付けた。写真の構図を決めるのと同じ。自分のなかで繋がった感覚の糸を切らないこと、それから重みと、空白と。色はほんとうはあまり重要じゃなかったんだけど、結局そこに落ち着い…
ひとを見たい、というのは、自分の中をずっとずっと掘り進み細分化していきたいということと同じことなのかもしれない。そのひとに寄り添い差異も類似も引き出す。どのくらいの距離や重みがあるのかということを、わずかな色合いで感じ取る。交換作業を通し…
ずいぶん前のことになるけれど、高尾山のときの写真ができあがったので。ふもとのお店でもりもりとお蕎麦を食べてから、高尾山に登った。気温は低かったけれどお日さまがとても気持ちよかったし、なにより駅からすぐそばのそんなに高くない山だということで…
日曜はまみこの結婚式でした。ずいぶん前からさよと私とで踊ることは決まっていたのに、ふたりの都合がなかなか合わずぎりぎりに仕上がったかたちになった。コントラステという場所で出会って、積み上げてきた5年間。この5年で私たち3人はお互い、ずいぶん変…
3年ほど前から参加させていただいているAAPAの新作公演が4月の頭にあります。今回はリハーサル期間がとても短くて実はまだ全体像が見えてきてません。でも、どうしてだかわくわくする。AAPAは私にとってそんな場所です。かなり特殊な場所がステージになっ…
ふと、少しだけ家に帰っておちつく時間ができた。駅を降りるとおひさまがあたたかくて、夜のようには疲れていないひとびとがすいすい歩いていた。もともとは予定が入っていた夜の冷えが心配であまり軽やかな格好をしてこなかったから、ストールだけ取って襟…
写真展のときに撮った写真をいまごろ現像に出した。なつかしいものがたくさん。+これは、マット紙をRooneeの篠原さんに用意していただいた帰り。空に飛んでいるUFOらしき物体は、強風のため舞い上がったなにか。 そしてプリントを取りにいった堀内カラーへの…
引っ越してきたばかりのころは近所の子と登校したな。帰りも待ってて一緒で。 友達のおうちへ曲がる道。交換日記をしていた。一日10ページくらい、いろんな色のペンとかクレパスやシールで飾って、それが3冊か4冊続いた頃に私の不精で終わったような気がす…
ひとを撮りたいな、という思いが募っている。鷲尾さんの「極東ホテル」を見にいってからさらにその思いは増した。たぶん、これはお借りしているカメラのおかげでもある。いままでのコンパクトカメラよりもファインダーを覗くと随分と身近なのだ。そのひとが…
ニブロールとはしごで見たチェルフィッチュ。素敵な題名。何度も口に出して見たくなる。「わたしたちは無傷な別人であるのか?」感想を書くのがとても難しい。『三月の5日間』で見た、どこにも置き場のない(もしくはどこにだって置かれる可能性のありうる…
4年近く携わっていた建物を見にいった。完全にできあがらないうちに次の現場に移動したから、完成を見たのははじめて。 こんなふうに樹が根付いて、ひとが通って…誰かの、なにかの毎日の場になっているすがた。 踊ることも、写真をとることも、たてものをつ…
写真展を終えてからしばらく写真を撮る時間をつくれなくて、それでも少しずつ撮ったものがフィルム7本分になっていた。ようやっと現像にだすことができた。写真展に来てくれた友達。私は彼を撮り、彼も私を携帯で撮ってくれた。(足が好きらしかった) ノリ…
ニブロールを見ていてぼんやりと、孤独を恐れるいきものは人間だけなのだろうか、ということをしばらく考えていた。目の前で起こっている激しい感情の発露のようなものと一緒に侵蝕してたまらない気持ちになった。永遠に落ちてゆく感覚、終わりのない落下は…
そうだそうだ、これいつも見ていた!と、ふたたび通りかからないと思い出さなかっただろう看板。 撮影とか録音とかのスタジオがすぐ目の前にあった。空中にあるこの扉、昔はなんのためのものなのかちっともわからなかった。 すぐ目の前のお米やさん。昔この…
液について景色を見下ろしたらぐんと緑が若くなっていた。申し合わせたようにやわらかい芽が出てきている様子はなんだか運動会のようで、朝から微笑ましくなる。『マリア・カラスの真実』を見た。あらゆる時代のインタヴューシーンが出てくるのだけれど、こ…
おいしいから食べてみて、と連れて行ってもらっておなかいっぱい食べた。もう歩けないくらいおなかがいっぱいだったし、ずっと残って夕飯も食べられなかったけれど、ただなんだかぼんやりと幸せだった。毎日のふところのなかにお邪魔させてくれるというやさ…
日曜日、東京マラソンを応援しに行きました。40キロ地点に大智くんの書いた「走る」の文字でどーんとのぼりを立て、それから寛平ちゃんに渡したいと思っているジャンボTシャツを立てて。私はひたすら写真係。慣れない、お借りした一眼レフを抱えていたと…