『スタンド』



今日は朝からAAPAの稽古でした。
大きな樹はいったん切られて切り株になって、それが伸びて胸の高さほどのところに年輪が見えていました。
春の若い葉がずいぶん高いところを一面覆っているようで、わたしたちの肌までみどりに染まるようだった。
土は少し湿っていて、けれど生い茂る下草が直接靴には触れないので、わたしたちは泥だらけにならずに済みました。
遠くからハイキングか散歩だかの途中の、北欧系の男の人と女の人が歩いてきました。
私たちが森のなかで稽古を続けているとふたりは立ち止まり、樹から樹へ見え隠れするわたしたちを妖精だと思っているようでした。

そんな夢を見ていたら、まんまと寝坊しました。
みなさん、1時間も遅刻してほんとうにごめんなさい。


今回、こんなところで踊ります。
この木の通路でじゃないですよ。
この、台の上です。

そのまま、電車の高架下です。
高架下ったら、こうかしたです。
電車はがたんごとんと上を通りますし、まっすぐ立てません。
低い天井に手や頭をすったら痛いです。


まっすぐに立てないけれど、立っている。
立ち続けるには向かない環境なのに、なぜそこに立ち続けてしまうのか。
何が自由で何が不自由なのか。
ということ。
それが今回の“スタンド”です。

一番高いところで120センチくらいしかない場所で踊るときに、踊りにおける自分の武器のようなものが断ち切られる気がした。
高く飛んだり、足を上げたり、のびのびと天を仰いだり。
武器というか、自分が踊りのなかで取り入れて楽しいもの、といったほうが適切かな。
けれどふと、私は天井の制限がなかったときにいったいなにができていただろうかな、ということを思った。
どれだけその空間を有用につかっていただろうか。
どれだけからだを投げ出せていたか。
大きな自由のなかにあるからこそ私はわたしの見えるものや感じるものを固定していたんじゃないかな。
当たり前にそこにあるものとして、それ以上を夢みようともしなかったのかもしれない。

いちいちほんとうに置かれてみないと分からないものだな。
と、新しい気付きに首をふる。


そんなふうに慣れるって怖いことだけれど、はんたいに逆境に慣れるって面白いことだ。
今回は演出家がくれた誰かさんの日常、みたいな物語をそれぞれのダンサーが振付けをしたのだけれど、私はちょっと変えればスムーズに生活できるところを不便なのにそのままにしちゃってるよね、みたいなところを踊りに入れてみたりもした。

現場で踊り込むのは木曜から。
思いっきり踊ったらあのじゃりじゃり天井ですりむいたりするのだろうか。
でも自由な空間では得られなかった感覚を、かんじたいと思う。

+

今週末の土日です。
隣を流れる川はさくらが満開になる予定です。
大岡川桜まつりというイベントのひとつの出しものというかたちで参加しているので、少し早くいらして他のイベントも覗いてみたら楽しいかも。
ぜひぜひ見に来てください。
チケットは、Chloe_bitter_sweet[at]yahoo.co.jpまで。


●AAPA 新作公演 『スタンド』

日時:4/3(土)・4(日) 15:30- / 18:30- ※受付開始は開演の15分前から
場所:日ノ出スタジオ2階回廊