そのちぐはぐがわたしの土台を狂わせる、中華街、intime/intimider

12:45
あることに対してはとても広い視野を持って複雑で時差のある思考ができるのに、あることに対しては急に視野が閉じて自分の物語に引き込みすぎて偏ってしまう、ような例をときどきみかけることがある。特に、社会的なことでは明晰で遠くまで繋がる説明をしてくれる人なのに、芸術など何かの作品に対しては急に自分の自己肯定感のレベルに左右されてしまう、みたいなこと。
同じ頭が生み出すこと、同じ目の見方なのにどうしてそういうことが起こるのか、が私にとってはとても不思議。
もちろん、私のバイアスがかかった視線がそれを見て「どうして同じ人がこうも落差のある思考や態度をするのか」と考えているだけなので、他のひとにはそうは見えていないのかもしれない。
それに、私が「一貫性」みたいなものを求めすぎるのかも。

それで思い出したのだけれど、例えば自分は人を待たせるのに、人を待つことは我慢出来ない人がいる。自分は人に意地悪を言うのに、人に意地悪を言われることにはすごく敏感である、とか、自分は散らかすのに人が散らかすと怒る、とか。そういう人のことを昔は良く理解できなかった。
「そのことに鈍感だからから人にもそのことをしてしまう」だったら想像がつくのだけれど、そのことに敏感なのに自分はしても良いと思う/または自分がしていることにだけは気づかない、というのは一体どういうことなんだろう?と感覚的にうまく理解できなくてよく衝突した。
でもこれだって、その程度を測っているのは私なのだから、偏っているのは私の方なのかもしれない。ただ単に私の中のルールとか感覚を基準としてしまっているだけで。
それとも、受け取る時に発動される視野の広さと、自分が表現する時の視野の広さとの間には案外落差があるということなんだろうか。

13:43
Sを見送ろうとしたらカチューシャ(隣の猫)が一目散に部屋へ駆け上がってくる。Sの荷造りをしばらく見守りつつ、時間のある午前中に買い物にいこうかどうしようか逡巡。中華街は坂の下にあるし、いつも張り切って買うので自転車がぐにゃぐにゃしちゃって運転を慎重にしなきゃいけないからちょっと緊張するのだった。
Podcastを聴きながら目を覚まして身支度をし、中華街に。
出かけようと思ったらカチューシャがドアの前で鳴いている。うちに遊びに来たいのかな?でも今日はでかけるからだめなんだ…と数分放っておいた。出かけようと玄関に行ったらカチューシャが扉の中にいてびっくりした。どうやって入ったんだろう?と一瞬考えたけど、朝カチューシャが部屋に入ってきていたのを私が忘れていただけだった。「入れてよー」のにゃーにゃーじゃなくて「出してー」のにゃーにゃーだったのだ。ごめんね。

お豆腐の美味しいお店で豆腐を2丁と厚揚げを500g、ごま団子と中華まん(お昼のために)、スーパーでもやし2袋、オクラ2袋、長芋1本、自然薯2本、大根、白菜、青梗菜、春菊、空芯菜、名前は知らないけど茎を食べる野菜、真っ黒のプラム6つ、チェー(タピオカのぜんざいみたいなベトナムのおやつ)、ネギ2本。
中華食材を買いにいかないとつい炒めもののご飯が多くなってしまう。白菜や春菊、もやしやオクラなどおひたしや漬物や和物にできる野菜が食べたかった。
13時からラジオ収録。パリの暴動について、ほんの少しだけ話す。

19:33
豆腐がある!ということは庭に植えて育ってきたシソの出番じゃないですか。
色んな薬味やら、ちょっと葉っぱを辛く炒めたりしたものとか、昨日の蕎麦の残りの豚ひき肉の何かとか、そういうのをのせて食べようっと。

20:05
intimeは「親密な」という意味なのに、intimiderは「威圧する」というような意味なの、間違って使ってしまいそうだ。似ているけれど後者はtimidと関係がある。

博士にもらった頭蓋骨を叩いてみたら「wouf!」という音がしたとなってるけどこれ原文ではどういう表現なんだっけ…私がこの4字から想像する音と原作の表現とは遠かったような…(La fin des temps