4月前半の日記

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4月1日

友人にChristiane Vollaireというフィールドワーク哲学(Philosophie de Terrain、もしかしたら専門的な決まった語彙が日本語にもあるのかもしれないがわからない)という分野の研究者を教えてもらった。
大恐慌後の欧州の緊縮財政のあおりを受けたギリシャで様々な職業、年齢、言葉も異なる人にインタビューをしたり、そこで起こった社会運動などを取材している。
当時の私は、ギリシャ人やイギリス人は財政難に陥ってもシェスタしてそうなどとふざけて話していた記憶しかなくて恥ずかしい。そのことが現在にどんな影を投げかけているのかについても知らない。
ドキュメンタリーカメラマンと共同で出版している『Un archipel des solidarités. Grèce 2017-2020』は面白そうだけれど、もしかして哲学者の文章は私が読むにはちょっとむずかしすぎるかもしれない…。フィールドワークの記録ならば読めそうな気もするけれど…。
覚えておいていつか手を出してみる。

 

me and youに「同じ日の日記」を書かせていただいたが、同日の他の方の日記のなかで中橋健一さんのものが好きだと思った。

 

 

4月2日

須藤さんが提案されている #芸術系の新社会人に贈る本 というTwitterタグ、いいなと思った。
私だったらなにを提案するかな?と考えてまっさきに思い浮かんだのはオルハン・パムクの『わたしの名は紅』や『白い城』だった。
どちらの本も、こんなに強くてまっすぐで曇りない情熱を、芸術や学問に投入することに心を動かされずにはいられなかった。
それから、自分の慣れ親しんだ日本文化とも西洋文化とも違うかたちで極められた芸術のかたち、芸術に向かおうとする思考のかたちに触れられてよかった(まだ謎ばかりだからもっと知りたい気持ちがある)というのもある。自分の信じている「美しさ」の定義や、その源流をなぞり直すきっかけになりそう。
神さまの捉え方が違えば世界の捉え方、芸術への姿勢も変わってくるということに気づいたり…。
実践とか実際の役には立たないが、自分が何故芸術のようなものに心を奪われ、人生を奪われようとしているのか…という地点に引き戻してくれるような本でもある。

 

 

 

4月3日

起きたら部屋がひんやり冷えていて冬を思い出す。日は照っているのに寒いからなんだか不思議な感じ。

 

4月10日

またしばらく書けなかった。
体調を崩していたのと、人と関わる予定に時間をかけすぎ、振り回されすぎる。
Sのコンサートに気をもんだり、リトアニアからの友人をどうお迎えしようかなと考えたり、アイスランドのみんなとの会合に何を用意しようかなと考えたり、仕事の段取りを考えたり…。結局体調を崩したために殆どのことが流れてしまった。

具合の悪いあいだに、少しだけレベッカ・ソルニットの『ウォークス 歩くことの精神史』を読んだ。
体調の悪いときに本を読むといっきに目が疲れる。視力が落ちるだろうから気をつけないといけない。明日はずっとしたかった遠足がやっとできそうなので、電子機器を見ずに緑や空ばかり見て過ごそう。
ちょっと下調べする。

 

 

4月13日

先週の風邪の名残と月曜日の自転車遠出の疲れが重なって昨日はぐったりしてしまった。といってもリハーサルはあるし教えはあるしで、すきま時間を利用してぐったりする。でも夜にぐっすり眠って元気になった。
今日は何も予定が入らなかったので勉強をして、あまり色々詰め込みすぎず、遅い昼に親子丼を作って夜も簡単に済ます。

夕焼けが綺麗な季節になった。雲の上に頭を出す島みたいに見たり、鮮やかなカクテルに見えたり、金星に到達する間際の宇宙船のような気持ちになったり、木星の衛星から見た木星は空を埋め尽くすほどの大きさだよねという話をしたりした。

カチューシャはあいかわらず庭を守るのが下手で、色んな猫が侵入している。
猫を呼ぶ庭、といえばほのぼのと嬉しい感じもするけれど、生ゴミをコンポストしている場所に白猫がどっかり座っていたりすると病気にならないかと心配だし、フンも思わぬところにしているようだし(ふとしたときに臭う)、カチューシャにはパトロールをしっかりお願いしたいところだ。

scrapboxに日記の下書きやメモを書いているが、その日に書いた日記/メモに日付だけをタグ付けしている。年度は入れず日付だけ。そうしたら「去年、3年前…10年前の今日なにをしていたか」をたどることができる。
今日辺りから関連リンクに去年の同日の日記が現れ始めていて、ちょっとうれしい。
それによると、オンラインストレッチクラスを始めてからようやく1年が経つらしい。あと今頃ランニングを始めているとの情報も…今年もまた再開したいとつい先週考えたばかりなのだった。春のちからか…。

 

VISAのためのTimbleをネットで買うことができず困っていたのだけれどSに立て替えてもらって買うことができた。
私のカードは先日何度もコード入力を間違ったためか、取引できない状態になってしまったけれど…大丈夫かな?一定期間過ぎたら忘れてくれますように。
フランスにいると些細なことでもうまく運ばないので心配とストレスが積もる。やれやれやれ。

 

4月16日

ジル・クレマンの公園に散歩に。
一見そのあたりの公園と変わりがないが、よく見ると多くの種類の植物が植っていて、植生が立体的。「庭」に閉じ込めずにその環境の中で生きる植物が植えられているので、町中やよその公園で見られる植物も多い。だから一見なんということもない。でもよく見るとただ野放図なだけではないのが分かる(気がする)。
植生に詳しい人にとっては興味深い場所だろうな。
レベッカ・ソルニットの『ウォークス 歩くことの精神史』を読んでいてはっとしたのは、庭というものは人間が周りの自然環境をどう捉えているかによって大きくその存在を変化させてきているということ。自然がまだ身近で脅威でもあった時代にはわざわざ庭を作って草花を愛でなくてもいいわけで、けれど時代が下って「自然」というものを教養や文化と繋げて外にある自然から切り離し、管理されたものとしての庭にした時代、もっと社会が安全になって庭と外界との境を取り払って混じり合ってゆくような段階もあったり…
私の庭も、一〜二年草が自由に生えれば良い、というスペースをあえてとっているのだけれど、去年生えた花とは違うものが生えてきている。私が手を加えたことで(軽い枯れ草掃除とかたんぽぽ、野ユリを抜いたり)元気になった球根とかもある。
2年目の庭、どんな顔を見せてくれるかが楽しみ。