鳥取反省メモ

昨日のショーイングは地元の方がたくさん見に来てくださいました。
こんなに興味を持って頂けるということと、これだけの声かけをして頂いたということに、自分が舞台に立つ責任も感じた今回でした。

舞台に立つこと、何かをつくりだして見てもらうことはただ漫然と立ち合うべきことではない、そんな当たり前のことをわたしはずいぶん長いこと慣れによって忘れていたのかもしれない。
毎回舞台はたいせつだし、新しくわくわくできる特別なものではあるけれどそれこそほんとうは一度やりきって死ぬみたいな放出を忘れてはいけないのだと思う。
精神論とか、一心不乱にならなきゃいけないとかそういうことではなくて。
踊ることと生きることが密接であると感じ、世界を見いだしたいと考えているのだとしたら、今わたしが表すものはあまりに弱い。
これだけ長く表現ということに携わって、しかも舞台芸術を選んでいる以上自分の中には理由や感触が確実にあるわけだけれど、じゃあそれを曖昧な雰囲気ではなく削り出して掴めているか?誰かにことばで簡潔に説明できるか?といえばそれとはほど遠い。
それができなくて作品になろう筈もないのに。

まだこんな興味もある、こんなことも好き、こんなことが面白い…その羅列をぶちまけているだけでその根と向き合っていない。
たぶん薄く絹を重なることでそのうちに見えてくる気がしていたのだけれど、思い切った意識の方向転換をしないとわからないまま舞台人生を終えることになる。
死ぬまでわたしは探し続けるんだろうなんて考えることの中には淡い甘えがあって、願ったり夢をみている場合では、もうない。

踊る以上、自分には責任がある。
お客さんに対しても、舞台芸術を今まで育ててくれたひとに対しても、自分がやってきた時間に対しても。
生半可なことでは近付けない。
でも今たいせつにしていることをより深め、問いただして煮詰め、手放しては新陳代謝して…という作業はすばらしく楽しくて生きがいのあることには違いないし、それを知っているからずっとこの世界にいたいと思っているんだという気がする。
こんなに長く舞台と関わりながらいまさら何度もこんな気付きを繰り返している稚拙さが悔しいしけど。


と、いうのが反省でした。
好きなことだからやりきらなきゃ。
なにしろ自分がいちばん満足できないから。


鳥取でのほんとうの本番は2月。