2010-02-01から1ヶ月間の記事一覧
写真係を担当している「走る.jp」が、あさって28日の東京マラソンにちょっと携わります。東京マラソンは応募者がとても多いのでいつも抽選なのですが、スタッフの中にはもう4回もそれに落ちているつわものもいます。走るTシャツくんを東京マラソンにデビュ…
母の習字の先生の字がとても好きだった。線のふちのかんじも、たっぷりとしたまるみも、くっと曲がるその粋な角も、予感させるようなおわりかたも。どんなに気軽に書いた字もすべてよくて、字どころか、訂正箇所から引いた棒線いっぽんにもちからがあった。…
なつかしい街にはいつかの自分の気配が漂っていて、記憶はそれを通じてやってくる。誰かの面影も、くいいるような痛みやむねの膨らむような思いも、鮮やかな発見も。歩きながら予感のように、息を止める。気配だけを取り出してたずねてゆくことをあんまり繰…
出し尽くされた世界の中に、なにをさしだしたらいいだろう。ただ場所を見つけて落ち着くのではなくて。きっとそういうところも360度に対してはたらきかけることはできなくて、そうしようとするとただ、手持ちを配るだけの行為になる。 とめどないものを選び…
なにか視線を感じるな、と振り返ったら、ぬくぬくの鳥たちがいた 鳥にとって水浴びや日向ぼっこ、つまり羽根の手入れに関することは生きるうえでたいせつなことなので、ちゅんもそうだけれど、一日じゅう羽根をくちばしでくしけずったり広げて点検して過ごし…
その作品を見てから、どうしても携わってみたかった場所のオーディションを受けることに決めた。短期集中のリハーサルなのできっと仕事にも迷惑をかけるし、別のリハーサルにも迷惑をかけることになるのだけれど。生み出すということに対して、毎日ふわふわ…
そういえば、このあたりをよくぐるぐると歩いた。隙間の時間があれば歩いていた。ずっと神田川を遡ったり、いつもとは違う道を見つけてみたり、往復してみたり。カフェに入ってのんびりするということが、ほとんどなかった。 空を見上げたときに、そうだ、あ…
6歳のころからずっとエレクトーンを習っていた。うちには先生から譲り受けた大きなエレクトーンがあった。今の電子っぽいやつじゃなくて、キーが3段、ベースは2オクターブあった。ほんとうに重くて大きくて立派だった。踊りの仕事を始めて練習する時間がなく…
自分に一度うんざりしないと動けだせないときがあるようだ。飽和状態をずっとだらしなくひきずってためこんで、もうだめだ、となって走り出す。均一にならしておけばいいものをと毎回思うけれどこういう性分なのだろうと思う。けれど今回は自分だけががっか…
この坂道をぐいぐい下って向かう先はふたつ。図書館か、習っていたエレクトーンの先生の家。 本を読むことが大好きだったので図書館によく通 った。お父さんの分もお母さんの分も図書カードを借りて抱えきれないくらいたくさん本を持って帰った。たいていい…
池袋の西武で迷子になりながら、無印の真空断熱ケータイマグを買った。これで昨日から熱いお茶ばっかり飲んでる。チャイのインスタントの粉も買ったので、チャイとお茶ばっかりでちゃぽちゃぽになっている。でもこれで、会社でも冷めないものが飲める。行き…
坂道に出て、はっとした。 これの存在をすっかり忘れていたから。そうだ、こんな場所があった。なんだかちょっと素敵で、ちょっとやすっぽくて、ここでくつろいでいるひとをあまりみたことがないけど。でも私たちには、年相応の隠れ家みたいなかんじがした。…
お母さんくらいの年のひとが角で立ち尽くしているから「どうしたんですか」と声をかけたら視線の先にまだ小さな猫がことんと横たわっていた。ブルーグレーのアメリカンショートヘアーの子供だった。ぴんと立っている夢をみているような格好で、やわらかく目…
懐かしいベンチもそのまんま 水飲み場も 自転車でも通ったし、歩いたし、ぼおっとたたずんだりもした。友達の犬の散歩に付き合って来たり、なんだか、男の子たちと女の子たちと集まって微妙などきどき会合をしたり。誰もいなくて、久しぶりであることをそん…
音にするとよけいすぎる。だから、もしかしたらここではいちばん無口かもしれない。+もしかしてあれは羊水のイメージ。呼吸は自分の耳にしかとどいていない。じっと見上げるからだと、揺らし、揺らされて映るからだとが二重にある。ときどき別の音がまざる。…
分厚く鈍っていたかんかくを洗いなおして身軽になりたい。むくむくと思考のなかにただよっていても、わたしはだめだ。追いつかないくらいの呼吸をして、時間を忘れることをしなくては。ちゅんが自分のごはんを咥えてわたしの掌に落とす。おすそわけのつもり…
とても身近で、たいせつなことをきっとおろそかにしているどこかぎざぎざするのはそのせいそのへだたりの淵に立つと、もうとても手が届かない気がする手をのばしてもいないのに沈黙が深まって、ただ、冷えてゆくあったかいお茶を飲んで、やさしいことを考え…
公園に向かう道。大通りのことは覚えていたけれどこのショートカットの坂道のことをすっかり忘れていた。どうして忘れることができたんだろう、何度もここは夢に出てきているのに。この分岐と、福岡の松林が重なったこともあった。噴火と地震の夢のときにも…
住んでいたところは今はもう別のたてものが建っている。通りかかったらベンツに乗った外国のひとがオールセキュリティーのドアを入っていった。私が住んでいた頃はささやかな、社宅であったのに。 住んでいた場所がなくなってしまうって、とても不思議だ。知…
須賀敦子さんの『時のかけらたち』のなかで、ナタリア・ギンズブルグの、ことばからの連想で家族や過去の思い出を引き出す手法にこころ惹かれた。以前読んだ須賀さん自身の作品にもそれはこころみられていて、すてきだった。とらえどころのない遠い間隔にや…
この細い道にはちいさなラブホテルがあった。ウォークマンを聴きながら歩いていた高校生の私は後ろから近づいてきてなにごとかを話しかけてきたおじさんのことばが聞き取れず「はい?」と訊き返したつもりがおじさんには「はい」という肯定に聞えたみたいで…
職安通りから大久保駅に抜ける、線路ぎわの道。ほとんど誰にもすれ違わないからがやがやした喧騒のあとにひと呼吸できる。 春や夏には、みどりで覆われるんだろうか。蔦のいのちはほんとうに強い。 カメラを持って歩くと、見ていなかったものを見つけようと…
“そこに山があるから登るのだ”という感じで、ふと近くにあったから、普段着のまま高尾山に登った。薄いセーターとフエルトみたいなジャケット、マフラー、かかとの高いブーツ。おばかさんだと我ながら思う。今年最大の寒気がまきおこす風が杉の樹に積もる雪…
しばらくみないうちに澄んだひと。「澄み切った」というかんじじゃない。いくぶんやわらかで、まだのびしろのある「澄む」。おいしい水でできているみたい、とひとめ見て思った。ただ髪を切ったからだけではなくてすっかり絡まりを脱いでしまった。毎日少し…
思わぬところに潜みくすぶっている止まった時間は、胸のまんなかから顔を出すみぞおちはふれることがこわいたぶんきっとそこに仕舞われ、ごとごとと製造中だからだ せかいをどこでとらえているんだろう?目を閉じてアンテナみたいになる。でも、だめ。目覚め…
表現のことを考えるときに、思い返すと自分でも驚くほど他者ということをやじるしの先に入れない。いまのところ踊りでも写真でも、その先に観客がいるということを前提にしている。見てもらわなくても、私から生まれるだけで満足、というふうではどうやらな…
もし、たとえばだけれどわたしがのっぴきならない疵や空洞を抱えていたとしても、そのことをおもてだたせることはしないだろうと、お風呂でぶくぶく思った喜びや発見や幸せや毎日のごはんのようにそういうものもわたしを構成するものの一部であるからおのず…