表現のことを考えるときに、思い返すと自分でも驚くほど他者ということをやじるしの先に入れない。いまのところ踊りでも写真でも、その先に観客がいるということを前提にしている。見てもらわなくても、私から生まれるだけで満足、というふうではどうやらな…
もし、たとえばだけれどわたしがのっぴきならない疵や空洞を抱えていたとしても、そのことをおもてだたせることはしないだろうと、お風呂でぶくぶく思った喜びや発見や幸せや毎日のごはんのようにそういうものもわたしを構成するものの一部であるからおのず…
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