* 平面を満たす水



時間があって、しんとひとりになりたいときに歩く、会社からの裏道。
はじめはちょっと寄り道しようと枝分かれの坂道をのぼって。
行きたい方向から反れる方向にしか道が続いていなくて、おうちに帰れなくなった猫のようにどんどん心細くなった。
これは後戻りをするしかないのかもしれないと思い始めた頃に、斜面にはりつく公園と遊歩道があって、このビルが圧倒的にたちふさがる。


ガラスで覆われたたてものはきれいだな。
ほとんど闇になった空と街の明かりが姿を隠すようにすべらかに輝くこの時間が好きだ。(写真ではちょっと明るいけれど)
からだの内側を覗いているような気持ちになる。
螺旋階段をずっと降りてゆくと水がたまっている。
光のあたらない水。
いたむことがないのは深いところでどこかに通じているからだろう。
その表面に自分を見つめることは、目を閉じたときに血のめぐりや光の名残が見せる景色をたどり像を結ぶのに似ている。

+

NYに行きたいと思ったことは1度しかなくて、しかもその気持ちはふたごビルとともに崩れてしまった。
けれど、ミース・ファン・デル・エーロの建物をちょっと見てみたいのだった。
メモ。