* 高架下にて、はてななままの大事なヒント、掘り起こしたいこと

AAPAの本番会場下見。
会場…というか、ほんとうに電車の高架下でした。高架下に四角いたてものが入っていてその屋根と高架の隙間が舞台という…。
踊る場所、一番高いところで120センチくらいしかないそうです。首を曲げなきゃ踊れません。手や足は上げられません。ずっと腰や膝を曲げた状態。
朝10時から3時までそこで稽古をしていたらかなり背中がうっと詰められました。
苦しい…。
それでも、やっぱり滅多にこんなところでは踊れない。楽しいです。
特殊であるからこそ違う動きに変えなきゃいけないとか、ちょっとした感覚の違いに気付くとか、拾ってゆけることも多くて。
演出の上本さんから大事なヒントももらったような気がする。

そのヒントはすぐに私のからだに反映することかどうか、ちょっと分からない。
なぜなら頭でもぼんやりとしかとらえられていないから。
けれどそれをあたためながら夜のリハーサルに向かって友人の踊りを見つめていたら、なんとなく「こういうことだろうか?」という瞬間しゅんかんがあって、はやくからだに落とし込みたい気がしている。

【振付メモ】
カーテンを開けてパソコンのスイッチをつける。
換気扇のヒモを引くと部屋に風が行き渡る。
タバコ吸うけど、どうですか。
あ、襟が入ってますって。
コーヒーいれますね。
カップどこだっけ。この棚、扉かたいなあ。
よっこらしょ。
電話を取ると難しい著作権の話。
調べるけど分からない。
教えてください。
あの…ねえってば。
…全然きいてない。
ぜんっぜんきいてない!!

+

自分が知っているよりもずっと、やられてしまうんだな。
もしかしたら昔よりもきちんと受け止めるようになったのかもしれない。
けれど時間が過ぎ行くのを辛く引きとめようとするような鋭さではなく、もっと海底の地震みたい。
ごごごと受けて、ひかりのないところをこぽこぽただよう。
苦しくはない。
今回はあまりにも自分の存在を超えて大きかったから。
けれどもし、これがこの感覚の延長にあるのならわたしは絶望していいのかどんな方法でもがくべきなのか、水のかきようがわからない。
いずれにせよこのままの意識の先にはこの感覚の先との接点はない。
必要なものはもう、本能が知っているのかもしれない。
それともまったくの、見当はずれか。