『ムーミンパパ海へ行く』やそのほかのこと

髪を短く切った。
ラフォーレのセールでひとにもまれた。

『ムーミンパパ海へ行く』をもう一度読んだ。
パパは自分が家族を守っているという実感を、ママは自分の庭を、ムーミントロールは自分と世界とのかかわりについて、それぞれが新しい灯台のある島でみつけようとするおはなし。
ムーミントロールがモランという死や影のような存在に毎晩逢いにいく。
カンテラを持って波打ち際までひとりで。
秘密のうちに向かい合って、存在を認めあうやりかたがすてきだ。
ムーミンは同じその波打ち際できらきらと光をふりまく存在であるうみうまにも出会う。
けれど、結局のところ最後までムーミンのこころをとらえてかかわらずにはおれなくさせるのは、モランなんだな。
トーベ・ヤンソンはこうしてひとりで獲得してゆくということについて、多く語っている。
ムーミン谷の冬とあわせてこれが好きなのは、ムーミントロールの新しい人生の発見を一緒に過ごせるからだろうか?
美しいと思うものや孤独の感覚がちょうどいい温度だからだろうか。
どんなものも等価に(でも決して生ぬるくなく、辛辣に)描かれているからだろうか。

好きなシーンは、パパが森のなかの水晶玉に映った家族を、自分だけが知っている海の底にいるような気がして気にいっているというところと、カンテラを持って灯台の階段を降りるときの、古い骨でできた井戸のように照らされる景色。 ムーミンパパ海へ行く (講談社青い鳥文庫 (21‐7))