ミニ『Line』展も3回目の展示になりました。



13日火曜日から、ギャラリールーニィにてミニ写真展がふたたび始まりました。
今回はおばあちゃんの写真です。

わたしのふたりのおばあちゃんはとても対照的。
どちらともの血をひいているわたしは小さい頃から自分のなかの引き裂かれる性質にずいぶんと翻弄されたような気がする。
自分の激しい衝動や、暗いエネルギー、不思議なできごと、ずれる現実。
両極を持っているんだ、とただシンプルに考えるようになってからはらくちんになったけれども。
母をはさんでその上の祖母を見る、という過程を経てやっと自分の奥底に流れるものをうまく把握できるようになったことがとても不思議で、けれどそういうものなんだろうという感覚的な納得もある。
母方のおばあちゃんの実家が古くからある神社を守っているうちだということや、おばあちゃんもお能台で踊っていたおどりこだったということ、何千年も辿った祖先がなにをしたひとだったかということ。
父方が屋久島のほうから来ていて、家紋がやっぱり神社に関係のある模様であること。
そんなことを知って自分の踊りや持っている感覚のことがぴたりとなにかに当てはまった感覚があった。

自分が求めるものをつぶさに見てゆくとどうやら、なにがわたしをかたちづくっているのか、ということが私にとっては重要みたいだ。
おばあちゃんは、いちばん近いわたしのルーツの入りぐち。
(たぶんほんとうは母なのだろうけど、母はなにかを押し込めてひらかれていない。)


写真展の紹介のはずなのによくわからないことを書いてしまった。


とにかく、おばあちゃんと1日じっくりと過ごし、撮ってみたかったのです。
おばあちゃんは92歳で、もう20年くらい前から「もうすぐおばあちゃんは死ぬよ」といいながらぴんぴんしている。
けれどあと20年も生きるわけじゃない(かもしれない)。
遺影を撮ってとお願いされてもいたことだし、と、お休みの日にじっくりと。

今回はおばあちゃんの家のものや、母や、母が私を生む前に住んでいた家の跡地にも行って撮ってきました。
ルーツのほんの入り口。
たぶん、これからもう少しずかずかと入ってゆくことになるものごとのスタート地点になりそうです。


それから最後になりましたが今回のマスナリジュンさんはまたなんとも。
作品を見て「こうきたか」とうなりました。
そちらもお楽しみに。