『ぼくの哲学』 アンディ・ウォーホル

キャンベルのトマト缶と、輪郭と色のずれたマリリン・モンロー。
アンディ・ウォーホルといったら私はそれしかしらない。
こないだのヤン・ファーブルの舞台を見たり友達にシルクスクリーンのことを聞いたりしてそろそろ知りたいなと思っていたところこの本を借りた。

「哲学」と書いてあるけれどせんぜん堅苦しいことはなくて、友達と延々と長話をしながらジャムを舐めたり、ホテルのロビーで誰かさんを観察したり、香水を集めていたり、1ページにもわたって好きな匂いを挙げたり、爬虫類的と言われたことを書いたり。
なんだか早回しで、いろんなものをぶちまけたみたいな日常だな、と思う。
子供っぽくておちゃめだけどどこかひとに対して一線を忘れない。(この本は襲撃よりあとにかかれているからそのことも関係しているのかわからないけど)
とぼけたような語り口だけれどちゃんと真面目で、ときどき鋭い感覚にどきりとさせられる。

とにかく知らないことだらけだから感想をかくのもなんか恥ずかしいからこのへんで。

以下、気になった部分をいくつか。

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“B、なんてったって無は無の反対側にあるからね。”

“お喋りというのはなにかを“している”のだ。
美しい人というのは“である”だけなの。”

“洗濯物が回ってると、プリント地でも、チューリップ柄でもなんでもだけど乾燥機の中で回ってるとケネス・ノーランドの絵みたい。みんな直線になって。”

“ぼくが絵を描くとき。
ぼくはキャンバスを見て、その空間を測る。「さて、これはこの角のところにあったほうがいいのかな」と思い、「うんそうだ、そこにあったほうがいい」と言う。それでもう1度見て「あの角のところは青が少しあったほうがいいかな」と言い、その時そこに青を置いてみて、そして眺めるとそこに青が見えてくる。そして筆を取って動かし、そこを青くする。もうちょっと青の空間を増やしたいときは小さな筆でそこを青くする。そして緑の筆を手に取って、緑の筆をそこにおいて緑を塗り、そして後ろに下がって眺めてみて空間取りがそれでいいかどうか見る。空間取りがうまくいってないときもあるわけだから、その時は絵の具を取り出して別のところに緑を少し塗って、そしてうまくいったらそのまま放っておく。”

ぼくの哲学