● 淡い灰色がいいと彼は言った



あとずさりしてはかる。
ここだ、というポイントが足を留める。
向こうにも同じ色彩があるんだった。
振り返って、延長線に自分がいることを確かめる。
髪をはらう。
くぐったり絡ませる手を想像する。
その向こうは波かもしれない。
錆びて、折れそうな四隅。
窓だったらすり抜けられるし扉だったら閉ざされている。
またあとずさる。
足を絡めて呼吸の揺らめきとともに。
天地を変えて。

その風景のひとつになっていることを考える。
見ていたのに、見られる。
見られることじゃなくて、見ることそのもの。
緑の布、まばゆい朱、白に透けるその日の空色、新芽。
モノトーンのこいびとたち。
関係性は2つにも3つにも増えてゆく。
これが角を為さなくなるのはいくつくらいに増えすぎたときだろう?

どんなに託しても、言い足りないということはないか。
わたしはもう今ここにわたしがいて、やるしかない。
いつもちょっとだけ今に手が届かないのは時間も光も留まらないものだからだし、けれどわたしはそこに手を延ばすことができる。
フェンス越しだけれど。
ロスコは作品を預けて命を断ったけれど、わたしは、そこにいなくちゃどうしたってはじまらないのだ、と、愕然とした。

一番気持ちの良い距離はわかっている。
そのことだけが唯一、信じられること。

雨だれ。
どんどん集めて、川にして落とす。
エミリー・ウングワレー。
曇りの日に気付いた、白は七色だということ。
靴音、引かれたライン。

作品をひとつだけ見て来い、と言ったムーン・パレスのおじいさん。
日本でも外国でも、独りはどきどきすること。

太陽を集める涙形のガラス。
子供の頃側溝で見つけたオーロラ色のクリスタル。
砂利がついたガム。

何度も振り返ってみる。
あとずさり、とまって。
時々すごく近づいて。
焔のような筆の跡がその距離では激しさを潜めて調和する。

髪をはらう。