f.d.

6時くらいにぱきっと目が覚めたのでそのまま起きていればよかったのに二度寝してトラックに乗る夢を見る。 おっちゃんはコンクリートミキサーがあと72台も残ってるとぼやいていた。 トラックは違法な改造をされていてわたしはありもしない南国分寺という駅を目指していた。

夢の駅のことを考えていたら王子に行く時にいつも乗り換える駅のことを思い出した。 その駅で思い出すことはいつも同じで、芝居仲間とエスカレーターをがらがら荷物を引きながらあがったこと、その、友人の長いスカートのかんじとか自分がぼんやりとからだのどこかに重たさを引きずりながらも心地良いエネルギーに満ちていること、そして、ドイツで何度か立ち寄った中継の駅のことを思い出すのは駅の形状から。 手すりの向こうに、ずっと電車がどこかへ抜けてゆく、そのどこかあらゆる場所への旅が始まるかんじの駅というのはなかなか日本にはなくて、その駅に行くとイメージを重ねて無理やりその気持ちに持ってゆく。

どんなことからもお話がはじまっていた頃、こころはもっともっと忙しかったように思う。 今は時間ばっかりが忙しくて、めまぐるしいのは色彩じゃない。

鳥は、うんと小さいものもうんと遠くもすごくよく見える目を持っている。 それが同時に脳みそに投影されるのだとしたら、ひょっとしてぜんぜん世界は違うふうに見えるのかもしれないな。 時間なんて関係がないのかもしれない。