サングラスをかけると世界がくっきり際立って見える。
光がはじけすぎることがないからつぶされない。
奥行きが深まる。
やはりきらきらと明るさに満ちたものよりもほのかの暗いもの、その中で強く輝くものが好きみたいだ。
フィルターがかかっていたり、影が混ざっていたり、間接的だったり。

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そのベランダはいっぱい光をためこんでいた。
若いお母さんが赤ちゃんをおんぶしながら洗濯物を干している。
赤ちゃんの肌もお母さんの髪も建物の一階に植わっているハナミズキもまだ濡れて重たくはためくタオルも、飲み込みきれないほどの光であふれていた。
赤ちゃんが何か言ったのか、お母さんは振り向いて話し、くすくす笑う。
そんな幸福のシーンを10歳のわたしは向かいのうちから半ば呆然とみていた。

足元に目を落とすとわたしは影の中にいた。
あまりにも影は濃くて、すうっと寒いような気がするくらいだった。
斜めの線で区切られた向こう側には足をわずか半歩ずらすだけで届く。
日なたに足を出してみようか、と思う。
ほんのこの先、境目を越えたあのくすくすと洗い立ての服の匂いでいっぱいの向こうがわに。

じりじりと爪先の温度があがってゆく感触まで想像しているのに、それなのにわたしは光のなかに足を踏み出すことができなかった。
もう一度顔をあげるとベランダにはもうお母さんと赤ちゃんは部屋に入ってしまっていて、洗濯物だけがひらひらとやわらかになびいていた。
Tシャツも手すりもハナミズキも、小さく飛び回る羽虫も、なにもかも平等に太陽に包まれている。
わたしとわたしのまわりの影に切り取られた、ここの空気以外すべて。

おひさまと影の境目でわたしは一歩も動けないでいた。
どんどんからだが冷えていく、と想像しながら、わたしはとても安らかな気持ちだった。


地底に残されたみずうみ