『ムーミンパパ海へいく』 トーベ・ヤンソン

飛行機のなかで読み始めた。
カンボジアの街をじりじりやかれながら歩いて、お昼の休憩の時にも開いた。
涼しい部屋は赤い遮光カーテンにさえぎられていて、バイクの音と工事の音が遠くに聞こえていた。

パパが可愛かった。
家族のみんなに頼ってほしくて仕方がない。
自分はムーミン谷のやさしい生活でぬるくなっている、とどこかで感じている。
からだの奥でうずまく自由への叫びを無視できなくなって、ついに自分だけの灯台のある島へ移住することを決める。

ママが素敵。
パパがママやムーミンにどう振舞ってほしいのかちゃんとわかっている。
強引さもわがままもまあるく受け止めて、しっくりとその望みのなかに収まる。
けれどそこにはママなりの独立のようなものが芯にあって、自由だ。(途中少しもやもやするけど)
自分も自由でありながら、たいせつなひとをも一番自由にしてあげられる。素敵だなあと思う。

船で島へついたときにママが荷物を運び出そうとするとパパが「ママはそこへ座ってただ安心していなさい。そんなことはわしが全部やるんだから」と言った。
しびれる男気でもあり、可愛い自分勝手でもある。
ママはすとんと、ただ座って世話を焼かれることを了承する。

ムーミンがちょっぴりだけ大人になる話でもあった。
ムーミン一家にひそかについてきてしまったモランにひとり気づき、夜中そっとベッドを抜け出してランプを片手に灯台の階段を降りてゆくシーンがとてもいい。
自分が近づいてゆく秘密とか闇のようなものや、まるい壁に踊るように伸び縮みする影を恐れていたのに、その美しさに気づいて感情すべてが逆転する瞬間。
それは身に覚えがある気がした。
死ななくてもいくらでも生まれ変わることができると知る。
夜の海辺でムーミンは輝く憧れにも日陰の存在にも、同時に対峙する。

ムーミンに出てくる登場人物はみんな自分の人生を生きていると思う。
そしてそれをみんながお互いに認めている。(積極的にしろ消極的にしろ)
ちゃんと距離を置いて、そのひとがそのひとらしくいることを尊重し、任せている。
自分の居場所が自分の身の丈に合っているのかということがわからずにいつももぞもぞしているような私にとってはとても気持ちがいい。
ときどきとても辛辣すぎてざっくりやられてしまいそうなセリフもあったりするのだけれど…。

ミィはなんて完成されているんだろうと思う。
残酷さも身勝手さも、すべて自分の責任のなかにおいて処理しているからすごい。

ムーミンの話もそうだけれど、やはりトーベ・ヤンソンの描く景色や意思のようなものがとても好き。


ムーミンパパ海へ行く