遺稿、『さらばモンゴロイド-人種に物言いをつける』神部 武宣

高校時代からなんとなく考古学とか神話とか生きていることの不思議みたいなことが好きで、そんな分野の研究をしてゆきたいと思っていた。
でも自分が興味を覚えていることがとても曖昧にひろがっていて(考古学から哲学から生物学、心理学、教育や芸術のこと)しかも浅すぎて、なにを選んだらよいのかさっぱりわからなかった。
そんなときにとても面白い教授の授業を受けた。
すぐにこのひとのゼミに入ろうと決意した。
教授はいつも豪快で面白くて、私はこのひとが大好きだった。
いつも不思議なおしゃれをしていて色んなことを知っていて。
お酒を飲むと奥さんとのなれそめを話してくれたりしてちょっぴりジェラスだったり。というのは友達の間での冗談。
私の教育実習の最後の日、上下真っ白のスーツに白い蛇皮の靴できてくれた。
教室の誰もが度肝を抜かれるなか、先生はまったくそのざわめきに気づいていなかった。
授業を終えてから、先生なんでそんないかしたいでたちなんですか?と訊くと、君の大事なときだから一張羅を着てきたんだと得意気だった。
校長先生に挨拶をしたいと言ってくれたのだけれど、先生、多分その蛇皮の靴はワシントン条約に反しているからやめときましょうとうやむやにした。

結局私だけがちゃんとした就職をせずに踊ることを選んだ。
卒業もぎりぎりな私を先生はずっと心配してくれた。
君のことが一番心配なんだよ、と。

先生とみんなとは卒業してから2回くらい逢った。
美ヶ原高原に旅行に行ったのも卒業してからだっけ?忘れちゃった。ハンガリーから先生の友達が来て湿地を歩いた。
そんな集まりが何度かあったのだけれど、私はやっとただの生徒じゃなくて踊りを教え始めた頃だったから1ヵ月に1回くらいしか青空を見られないくらい忙しくて精神的にも逼迫していて、何回かはお断りしたんだった。

ほんとうにほんとうにある日突然、先生が亡くなった、というメールが友達から来た。
うそだ、と思った。
でもお葬式にいったらうそじゃあなくって、いつも先生がかけていた黒ぶちのめがねがいつもの笑顔の写真の前にぽつんと置いてあるのを見た。
先生なしのめがねだけなんて。

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つい先々月、ゼミの女の子がメールで先生の遺稿を後輩がまとめて本にしたみたいだから、ということを教えてくれた。
卒業してからの私の薄情ぶりも手伝って私と大学時との関わりは残念ながらものすごく密度の薄いものになってしまったけれど、先生とその周りの空気だけは時間が止まったみたいにそこにくっきりと、ある。
この本の存在を知って、それがまた温度を取り戻したみたいな気持ちになった。

先生が亡くなって何年たつんだろう?
今でも先生の携帯の番号を消すことができない。


さらばモンゴロイド―「人種」に物言いをつける