Twitterを懐かしむ声が早くもあふれる中

Twitterのサービスが終わるかもしれないと話題になっている。
私自身はブログや他のSNSを公開しているから、もしTwitterが終わってもそのほかの方法で繋がりを持ちたいと思えばできる。Twitterで繋がっていた全員と繋がり続けることはできないだろうが、どのみち、身がひとつである以上、なにごとにも限りがある。そもそも身の丈以上のことをしていたような気がしなくもないから、終わってしまったらおわってしまったで良いのかもしれない。不便をしても繋がっていたいと思うひととは繋がっているはずだ…と思いたいけれど、ホームページ時代やmixi時代に繋がった方はほとんど今やどこにいらっしゃるのか…という状態だし、また新たになる関係に満足するのかもしれない。
この10年にネットでのコミュニケーションの感覚は随分変わったし、それはそれで面白かった。でもそろそろ最新の形に否応なく追随させられるのではなくて、それぞれがここらへんが心地良い、と感じる場所に着地するときなのかもしれないな。

DiscordはmocriみたいなこととTwitterコミュニティみたいなことが両方できていいなあ…昔に作っていた掲示板があったりチャットができたり日記も書けるという個人サイトっぽく使えるかもしれない。こういうことができたらいいなあと夢見ていたことが時代を経てほとんどできるようになっているじゃないの。ちょっと楽しそうかも。


以前から書き込みだけでやるのんびり読書会のようなものをしたかった。
読書会というよりは一緒にその本を読んであれこれ共有するような場所。3ヶ月〜半年くらいの長い期限をとりあえずは決めて読み(1冊〜3冊くらい)、その日読んだ箇所について書きたいことがあったら書く。それに関連して思い出したことや繋がりのある作品のことを書いても良い。この本を読んだからこんな夢をみたよとかでもOK。
とりあえずの期限を決めるが、1年後、3年後にその本のスレッドに書き込みがあったって構わない。
それって感想を書き込む本棚サイトと同じだなあ…と思ったりしていたのだけれど、Twitterやマストドンや本棚サイトが「それぞれが出向いて共通の場所に書く」行為だとしたら、Discordは自分の場所を持ってそこに受け入れる行為であって、そうだとしたら使い方の差別化ができる。同じような役割のものをまたがって使うのが好きじゃないけれど、これならブログともTwitterとも違う感じで使えるのかもしれないな。
「いついつに読書会をします。人数を募集します」のようなことは私にとってはちょっと敷居が高いのだけれど(なぜなら新刊は取り寄せられないし、読むのが遅いし、仕事の予定が流動的すぎるから計画が立たない、そしてどなたかを巻き込むとなると真剣に真面目になりすぎる)、私の場所を開放するから遊びにきてもいいよ、おうちに遊びに来る感じでお気軽に。違う本を読んでも構わないしね。という雰囲気でできるのでは。そういうの好き。それなら始めやすそう。ストレッチもそんな風にして始めることができたしね。

ああ、そうだな、場所を持つ、ようなことに繋がるんだ。
好きに使えるし、人を呼べるし、呼ばなくてもいいし、呼ばれたという気遣いなしにいてもらえる、そういう場所にできる。
なるほどなー。
でもでも、もうちょっとビジュアル的におうちっぽかったらいいのに!なんかすごくプログラミングをしているひとが好きそうな画面なんだよなー。文字とか数字優先みたいな感じ(←雑な印象ですみません)。
かといってどうぶつの森みたいにしてほしいわけじゃないけれど。