note

0:21

どこかの時間に送り出されるひかり 白い石を穿つ、 ように刻まれてる 結晶が重力に負けて落ちるみたいに 繰り返し、 いつも聞かない鳥がないている 遠くの鐘を鳴らすようにわたしは踏もうと思う ふいごが火をけしかけるように まんなかと結びつくみたいに ど…

いっぽん道/泉

動いているのはまだ見ない光あたためられて、めぐって、呼吸をいっぱいに含んで、知らない時間に抜けていく進む速度はだんだんにあがっていくけれど見送ることの方が早い風もなくでもこの音はなんだろう誰のからだの音なんだろうとどまる泉だろうか太陽も月…

町境の橋

もう少し進めるはず つかんでいる手は冷たいけれど、足元には川が流れていると思えばいい 遠くに映るけれど水面まではその半分なのだから どこまでを橋の裏と呼ぶんだろう 階段の裏はどこに通じるの 手の中ではひとつながりなのに実際は一歩も動けないことに…

数のこと、ムクドリの群れ

感覚の仕掛けについて考えるとき、ちょっと前に書いた植物と数学のことをよく思いだす。同じ植物が決まった数の花びらを持つっていったいなんなんだろう。この枝の花も5枚だしこの枝だって5枚の花びらをつけてる、みたいなことを考える、この数字っていっ…

写真のためのノート

もぎとられるそのことが暴力でない場合からだの延長の終わりのこと?像と、燃え尽きた先のどちらが向こうなのか影の映像は光なのか?わざわざ見ていることを示すことは見ているものを示さない見ているもの以外の全てを示すそれは交換可能か?

右手に川がある空には鳥がいないその川のことをわたしは知っているそれはあの電線を赤い空の中に見たからだ森に沈んでいる川は地下に吸い込まれる川とどういう違いがあるんだろう?いつか木だったことがあるに違いない、だってそこにあればわかるのだから地…

みること

見ることは撃つことや刃のようなことではなく羽根を広げて包み受け入れることなのだ、ということに少し気がついた

動きと感情についてのメモ

からだの動きのことと感情について、メモ。先に感情があるのではなく、からだの動きが感情を呼び覚ます。その展開のしかたが、なにかしらの感情をかきたてることになる。それは音楽の転調に似ているかもしれない。“まず音が存在し、それしかないと判断された…

スイートピー2

埋める/うめる

ものを地面に埋めるときの「埋める」と、なにかを満たすときの、埋め尽くす、みたいなかたちで使う「うめる」が同じ“埋める”という言葉・漢字で表されることにずっと違和感があった。前者の「埋める」を考えたとき私は埋められるそのもののことを考えていた…

決して深くはない沼。泥の底からのびる植物がときどき若い芽を水面にのぞかせて、そこだけが灰色の景色に色をそえている。薄い雲が動き、止まった時にひかりを差し入れる。やさしく、けれど決定的に。急に与えられた空気を胸の奥深くまで吸い込む。高い弦の…

エドワード・ゴーリーに捧ぐ

“磨耗は厳密な法則にしたがって生じる。自分自身が寂寥のただ中にあって注視した者でなければ、落莫たる寂寥の再現はできない。遺棄されたものは身の毛がよだつほど美しい。”~『白と黒-エドワード・ゴーリーに捧ぐ』 トーベ・ヤンソン

カザルスのことば

芸術家は同胞の闘いと苦しみから離れ、象牙の塔に立てこもるべきだと信じている人がいることを私は知っている。私はこの考えに不賛成である。人類の尊厳に対する侮辱は、私への侮辱である。人間の権利は、他の人たちより芸術家にとって重要ではないのか。芸…

うみのそこ

なんにせよ作品の良し悪しというものを今のわたしはそのひとがどこまで究極の点まで行って、そしてかえってきたか、みたいなことで感じているような気がする。その、点、というのは形式とか主張のようなものではなくて(そこを通らなくてもいいというわけでは…

町境の橋

もう少し進めるはずつかんでいる手は冷たいけれど、足元には川が流れていると思えばいい遠くに映るけれど水面まではその半分なのだからどこまでを橋の裏と呼ぶんだろう階段の裏はどこに通じるの手の中ではひとつながりなのに実際は一歩も動けないことになる…