うみのそこ

なんにせよ作品の良し悪しというものを今のわたしはそのひとがどこまで究極の点まで行って、そしてかえってきたか、みたいなことで感じているような気がする。
その、点、というのは形式とか主張のようなものではなくて(そこを通らなくてもいいというわけではない。それをくぐり抜けることは必然)、もっとそのひとの存在とかそれにかかわる疑問や熱のようなもの。

だからひとりでおりていって、みなければいけない。
今までなんとなく身にからめてきたこと、もらったもの、色合いだけ眺めてきたことはいったん忘れて。
大切なことだけは忘れても染みて抜けないってわかっている。
ひとりの作業を思い切りして、そうしたら違うふうにひとをみられるかもしれない。


「孤独が大きくなるのは子供が大きくなるように苦しく、春のはじめのように悲しいものだからです」

リルケのこのことばが好き。
まるで懐かしいもののように。