針のように

年をとるたびに、失望が積み重なって無口になる

 

cakesが紙面を閉じるらしい。
こういうお知らせを聞くといつも、不義理を抱えたままアパートメントを去ったことについて考える。自分が連載を頼み、クラウドファンディングまでして、最後まで責任を持てなかったことについて。
最初から私の態度が一貫していたら。自分の理念をもっとうまく説明できていて、周りを説得できていたら。いま、この形では残っていないだろうと思う。
葛藤し喧嘩をしながら最後には最善の道を選んだつもりだったけど、こうしてどこかのウェブメディアが閉じたり例えばなにか不正があったりするような噂を聞いたときには、では私の対応ははたしてどうだったのだ、ほんとうに最善だったのかと考えてしまう。
後から考えれば最初から間違っていたと言うこともできるし、その時の自分に立ち返ってみるとどの時点でも一番良いと思うことを積み重ねていた、だから「〜かもしれない、でも、」といつも結論は出ない。
二度と自分が最後まで付き合う覚悟のないものにひとを巻き込まない。

今からでも何かを言うべきだろうかと思うこともある。
特に今日みたいな日。
でも何も言わない。
私の長い長い葛藤を、どうして身動きができなくなってしまったのかを文章で説明する自信がない。だいたいそんな言い訳には何の意味もない。
『ゲンロン戦記』みたいに、これからの世界に有用なことが書けるなら、伝えられるなら、そうしてみるのも良いかもしれないけれど。