2月半ばから3月半ばまでのメモ

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2月18日

オンラインシンポジウム「移動するアイデンティティ」を見る。登壇はアーサー・ビナード、李琴峰、多和田葉子、関口涼子(敬称略)。
関口涼子さんのおっしゃっていた、自分がフランス語で書いた本を、日本語にする作業の中で自分のなかで何が起こっていたのか、の考察が面白かった。翻訳の時には人の作品や言葉を受け入れるわけだからある意味では自分の中に空のスペースを持たないといけない。でも自分の作品を訳するときには、自分という作家がそこに実在しながらも、その空っぽの状態を持たないといけないというジレンマがあったのかも、というようなことをおっしゃっていた。
写真を撮る時に、近くに誰かがいると感じる、自分を消滅させてレンズの向こうのものに入り込みたいけれど、自分の体が相手のためにそこになければならない感じがする、変な自意識のことを思い出す。涼子さんのおっしゃることとはきっと全然違うことなのだけれど。

 

2月24日

日本語の教え。
これを続けると上達しそうだから良いな、と思った方法も、飽きられてしまえば効果的ではない。
教えというのは、つくづく楽ができない仕事だなと思う。楽をしたいわけではもちろんなく、その楽ができない感じが楽しいのだけれど、その人自身だけではなくその好奇心とも向き合わなければならないから、工夫が必要なのは当然のことだ。
自分のテンションを上げたり、自分がリラックスして冗談のひとつも言ったり、目新しいことを入れたり、難しくなりすぎず容易にもなりすぎず。そのあたりを目を細めながら、当てにいっているかんじ。

 

3月9日

普段よりも少し負荷がかかるだけで、それまでかろうじて積み上げてきた習慣が続けられなくなってしまう。
実際の体力というよりも頭の体力が減ってきているんだろうか。

me and youの日記企画への寄稿、いつもの日記をお渡しすればいい、いつもの日記のようにあるべきだと考えていたのにやはり少し詰め込んでしまった。ふだんの日記だって公開する以上多少かっこうつけているかもしれないけれど、(ほとんど)初めての寄稿なので気合が入るのは已む無し。楽しんでいただけたらいいなと願うばかりだ。

 

3月11日

はてなにブログを移しながら震災当日のメモを発見する。

amayadorinoshoko.hatenablog.com

 

3月12日

ひとは、自分が思い込んでいるように世界を見ている。
これまでも思い知らされてきたことだけれど、ここ数年は特に、自分が考えていたよりもそれぞれの世界はまるで違うし、遠いところにあるという認識を新たにしているような気がする。分かっていたことのはずなのに「いや、でもこれほどまでに?」という驚きと多少の失望によって、その枠は少しずつ更新される。ずいぶん余裕をもって広げたつもりだけれどまだまだ広がってゆくんだろう。だって私も、自分が見ているように世界を見るのだから。

このことに対しては諦めたり、譲ったり、なかったことにはしたくない、という気持ちもある。それをしたらきっとほかの大事なことまでぼやけてしまうだろう。