3.11、12備忘録

3月11日(金)

9:30に劇場近くのカフェでラストシーンの打ち合わせ。
夏からずっとああかもしれない、こうかもしれない、とやってきたことのひとつの答えをひねりだす。
10時に劇場入りして道具のプリセット、半からシーンを抜きで照明合わせ。
結局ラストシーンには辿りつけず、ゲネまで通しをプロデューサーに見せられないまま。

休憩時間はタイヨウさんとふらりと外に出て、近くの区役所の社員食堂で食べる。
私はマヨネーズハンバーグ定食。
外の光がやわらかく入ってわりと開放感のある食堂だった。
私は劇場に帰って3時からのゲネに備えて昼寝。

2時半に目を覚まして、近くにみのりちゃんがストレッチをしていることに気づく。
眠ってた?とみのりちゃんが訊いて、ちょっと笑う。
2時45分からプリセットだから今のうちに、とからだを伸ばし始める。
タイヨウさんも帰ってきてみんな目の届く5階に集まる。

地震がはじまって、ガラスの向こうの照明が揺れ出す。
これは大きいね、と言いながらもはじめは余裕があったけれど消化器が倒れたりまっすぐ歩けなくなったり照明がとんでもない動きをして、これはただごとじゃない、と怖くなる。
天井から粉が降ってきてもしかしてこれはほんとうに危ないかもしれないと心臓がどきどきした。
入口を確保したり、誰かが危ないものを押さえていたら手伝わなきゃ、とエレベータの方に歩いたら關さんが危ないからと大きな柱のあるところに呼んでくれた。
そのあいだに劇場の照明が落ちたり機材が倒れて壊れたりしてしまったけれど幸いに舞台上には誰もいなかったから怪我をしたひともいなかった。

非常階段で避難をして下のカフェに。
激しい余震の中でカフェの店員さんは業務を遂行していてすごかった。
ゲネはなしで本番になるね、と話していたけれど4時前にプロデューサーから、照明合わせが間に合わないということよりもお客さんを危険な目に合わせるわけにはいかないから公演は中止します、というおはなし。
出演者のためにすぐホテルを探しに行ってくださった。
私は家の近い出演者のところに泊めてもらった。

電車が動いていなかったから歩いて町を移動したのだけれど、なにか異様な光景だった。
こうだくんがずっとラジオを流しながら歩いてくれた。
その時にはまだこんなにおおごとだとは知らなかったけれど、こういう時にはラジオが大きな情報源なんだなあということと、こうして情報を共有することをすんなりとできるこうだくんにわくわくした。

家についてTVを見てはじめてほんとうに大変な状況なんだと知った。
帰り道には明日の公演の話をしていたけれど、これは舞台どころじゃないかもしれない・・と。
銭湯に行ったり、もう何もないコンビニにびっくりしたり、いつもと違う生活。
夜はずっと携帯で地震やひとの安否を確認したりして眠れなかった。




3月12日(土)

ほとんど眠れないまま朝。
寒さもあったけれどなにかずっとからだの中と外の圧力が噛み合わないようなかんじがして折り合いがつかなかった。
同居している料理人さんがおいしいチーズケーキとリゾットを差し入れてくれたので少しずつ食べる。
あたたかいお茶を出してくれる。

とても晴れた日だった。
あたたかい休日のはじまり。
スクリーンが陽のひかりに負けて現実味が薄らぐけど気持ちの重みにひきもどされる。
たぶん本番はないだろうな、と思いながら連絡を待つ。

本番は全て中止します、という決定がおりたあと道具や舞台のばらしのために劇場に向かう。
公演中止のお知らせをお客様に送る。
舞台を非日常だととらえることがよくある。
でもただ、ほんとうは、日常のなかにしかない。

道具をばらして、客席をばらして、スタッフのかたと共演者みんなで少しミーティング。
夏からずっとあちこちで作品を磨き、公演を重ね、東京が最後の終着点だった。
ほんとうに満足のいく作品になったかはともかくとして、やっぱり目指してきたのはここだったからなんだか自然に口数も少ない。
でもプロデューサーの佐東さんと水野さんはなんらかのかたちで再演ができるように尽くします、とおっしゃってくださった。
最後の一応のけじめのようなものをおふたりに見せられなかったことがなによりも心残り。
実現したらいいけどな。

解散して、ぽっかりした気持ちで電車に乗る。
上野は改札への入場規制があったのでそのまま地下鉄に乗って、ちょっと遠回りして帰った。
ほんとうにあたたかい日だった。
空が青くて時々電車から見える洗濯物が白くなびいて。
いつのまにかぐっすり眠った。
たくさんの影がぶつかって、わたしはなにか夢をみたような気がする。