ここにいる旅やどこかに行く旅のこと

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沢木耕太郎さんの『深夜特急3』を借りたのでいろんな事の合間に読んでいる。 勉強とか、お米が炊けるあいだとか、お腹いっぱいになったときとか。 「移動していくと、子どもと老人だけじゃないですか、旅人と関わってくれるのは」「その国のことは何もわからなかった」という記述があって、胸が痛くなるほどわかる、と思った。 カナダで道で踊っていて、ときどきそういう思いに、動けなくなったことを思い出した。

エトルタの二日目、冷たい風を避けるために階段と堤防の間に挟まるようにして座りながら、長いこと波が打ち寄せるのを見ていた。 エトルタの海岸は丸い小石に埋められていて、打ち寄せる波も特別な音がする。 波を見ながら、おとなになってから驚いたこと、発見したこと、新しく経験したときの感触があたまのなかに次々に浮かんできた。はじめてひとりでヨーロッパを彷徨ったときのこと、子どもの頃から歩いていた道で夕日を見て急に泣いたこと…。 はじめてデンマークからドイツに戻ってきたときに船の上からみた北の夜の海の話を、ぽつぽつとした。 いろんな旅をしてきたであろう経験も豊かなそのひとに、何故わたしは、自分にしか分からないかもしれない話を、「旅ってこういう風に面白いよね」という風に聞こえかねない話を、しているんだろう、と思いながら。 他にも話したいことがいくつかあったんだけど、それ以上口をひらくと何故か泣いてしまいそうだったから、やめた。 波だけでいいじゃないか、と思った。


大切なことほど後回しにする習慣を、今年は矯正したいと思っている。 そのことで信頼や縁を失うようなことは、いやだ。

羽根も肺も広げられるようになったものの、その分もしかして自分の時間を緩慢にさせていたかもしれない、去年。 手を差し伸べてくれたり、仲良くしてくれたり、そういう嬉しいことをにこにこ見送っているのじゃなくいたい。

自分をただしく見ながら、でもぽんと知らないところまで飛躍するための毎日。

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