* 走るTシャツ@九十九里 5、+私信



この旅は、わたしにも変化のきっかけになりそうな気がする。

夜中から朝から1日遊んで、暗闇からひどい風から波の中で思いっきり笑って、そしてへとへとになりながら野菜を買って、今すぐ帰りたい気持ちになりながら東京についたけれどやっぱり名残惜しくて。
こんなにいっぱい心配なく遊んだのは久しぶり。
舞台が終わったからというのもあったと思うけれど、そこでは好きなことだけ考えればよかった。

好きなことをしていい、と言ってもなかなか自由に振舞えない。
わたしは、いつも誰かの反応を見て待ってしまう。
その裏にあるのは優しさじゃなくて、気弱さだし自信のなさなんだと思う。
いつもちょっとだけ考えてしまう。
ひとことものを言うにも、選ぶにも、楽しむにも。
ほんのちょっとの時差がいろんなものを奪う。
そしてその奪われたものにひそかにこころをいためて、またちょっとずつ遅れる。

こわくないフリも頼らないフリも強いフリも、ある面では私をほんとうにそうさせてくれた。
でもどうしてそうしているか、という理由は決して前向きなものではないから、ただ足元を脆くさせた。
頑丈さと脆さの差はどんどんひろがる。


でも東京にたどり着いておいしいねってご飯を食べながら話をして、すごく純粋なことに触れた気がした。
大事におもうことがちゃんとあって、なんとかとかしたいと願えることがある。
それを実際とかしてあげるちからはないけれど、わたしが注げるものがきっとあるはずなんだ、という気がする。

わたしは自分のことがわからない。
ときどき、すごく薄い危うい皮でごつごつした動物の内臓のようなものを包んでいるような感触におちいることがある。
動物…というよりも、八百万の餓鬼のような。
その薄い皮のはしっこをきちんとつかまえておくのに必死なときがある。
話す相手によって、その内臓はもぞもぞ動いて思わぬことを口にしそうだから。
だから、あんまり鋭かったり純粋だったりするひとと話すのがこわい。

これもちゃんとわたしなのかな?

たぶん私の魑魅魍魎をぐっとおさえているのはこの踊りだと思う。
感覚的にも、経験的にも。
踊っているとき私のオーラは金色だそうだ。

でも、もうおとなになった。
踊りもわたしの一部。
だから、もう踊りは手段じゃない。
こわがることもない。


わたしはあなたの踊りが好きだけど、きっとはじめに言ったと思うけど、踊るあなたのまなざしがすきなんだ。

わたしはわたしのことはわからないけれど、惹かれるもののことについてはよーくわかるんだ。