「輪郭」動画や写真

6日に踊ったものをYouTubeにアップロードしていただきました。
全部で40分もあるのですがよろしければ順番にご覧ください。(動画はマスナリジュンさん)

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改めて動画を見ると「なんだこれは」とダメを出したいところはたくさんあります…。 が、今はひとつ作品をつくることができてほっとしています。 わたしの人生のいちばん最初の記憶のことからほどくように積み上げていって、ぎりぎりまで考えて生まれたてを踊った、といったかんじでした。

写真家のaya HIRAKAWAさんに撮って頂いた写真。

本番の3日くらい前からひどく緊張して、足の裏はふわっふわ地面を踏んでいないし手のひらは汗びっしょりだし、気付くと現実逃避して眠ってしまうし、変な数日を過ごしました。 でも当日明かり合わせの前に早めにお茶を飲みながら、音も服も光もこの踊りにいのちをくれているんだなあということを考えたら、ちゃんとからだがあたたまって、緩んだ。 舞台を見に来てくれるお客さんもきっと楽しみに来てくれるのだし、その時間を緊張など言い訳にしてつまらんものにするわけにはいかないじゃないか。という気持ちになって、もう全部あずけて、全部あずかって立つしかないんだなあ、という覚悟ができたというか…。 それだけのひとの時間をもらっているのだから怖いのは当たり前。 どきどきして震える自分も、まるごと連れてゆくしかないんだな、と思って。 でも案の定舞台にあがったらすっと肝が据わるし、地面の深いところから空の高いところまで芯が通じてくれる。 ゲネプロはあらららな出来でちょっと焦りましたが、助言を頂いて構成の訂正をし、本番はちゃんと満ちつつ、冷静で、でもごうごう青白く燃えるみたいな部分もあって、スリリングで楽しかったです。

美生ちゃんとは今まで色んなことを話してきた。 表現のようなことについてももちろんだけど、そのほかのいろんな話を、いつも真剣に真剣に、する。 ふたりで話しているといつもどうしようもない性のようなことと、でもそれでも希望のようなことを思って、胸がきゅーっとなって、ぼろぼろ泣いたりする。 今回の作品は、ふたりの祈りだと思う。 そして早苗ちゃんの衣裳が絶妙なやわらかさで包んでくれて。 しあわせでした。

地面にチョークで書いたことばは、本番でお渡ししたちらしにも書いたことなのだけれど、まったく同じではないのでここにもしるしておきます。 じつはこのことばは、とある方に送ったお手紙を何度も読んで書いたものでした。

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だいだい色、という色の名前を覚えたときのこと。 それがわたしの人生の最初の記憶 ― いちばんふるい記憶です。 名前を知るまではその色のことを他の方法で呼んでいた気がします。 ほかの色やことがらと区別するための、ことばですらない特別な感触。 でも名前を知ったとたん私はそのことを忘れてしまった。

ひとは、すべてがもやもやとひとしい世界に突然生まれてくるんだという気がします。 色の区別もなく、ことばも知らず、自分とお父さんやお母さんとの差もわからず世界に生まれてきて、そこに少しずつ輪郭を与えていった。 名前をつけ、ものの区別をして、ことばを聞き取って。 そうやって少しずつ解き明かしてゆく作業のひとつひとつには、いったいどんな驚きや輝きがあったのだろうということを思います。

そうして見つけた世界に、今、立っている。 この肌やこころのようなものの輪郭を持って。 世界にはたくさんの輪郭があって、私はそれと向かい合っているような気がしていたけれど、 ほんとうは、それを発見したのは、 ただ、私なのだと

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本番ですごいなーと自分で思ったのは、このチョークの文字がものっすごい平行に書けたことです。