* tristesse allante、14日・15日芸術劇場で本番です



最後のリハーサル。
からだの中の対流と皮膚の温度が釣り合わないのを感じながらはじまる。
見慣れないものが視界に入るたびに意識が遅れる。
それは自分の景色を見ていないせいだ。
今日は誠実に動きたかった。
バレエに対してじゃなくて、見せたい自分や狙った何かを破りその先に感じる部分に。
からだの表面に感情をためない。むき出しにしているつもりになっている自分が重くなるだけだから(でもどうしても抜けられない)。
皮膚は外部を感じるために、もう少しひらいておきたい。風通しをよく。内部の液体はどんなかたちにでもなって、出てゆけるように。
目の扉は放つ。
生きて踊る。
静かで密度のある操られた緊張感。それが自分のほんの脳みその中を出ない。
あたまじゃなくて、そのように存在したいのに。
地平線をくまなく見る。前はまえだけじゃない。
ラインのことと螺旋のことは、分かたないでいい。せめぎ合って突発的になにかが生まれても。
でもそこをまた畳み掛けられるかどうか。
はみ出すことに怯えない、けれど均一の空気の中に。ひとりで存在しているのではないんだから。
頂点を触れること。どう空気を動かしたいのか。
これは放つこととも関係がある。
込めたつもりで、やりきらないのはだめ。
動きは創らなきゃならないけれど、でもいかにもそう動けばいいかも、っていう感覚のうえでできた動きはいやだな。…でもそこから抜けきれるかどうか。全部一から試す時間はもうない。
ああ、間に合わない!
今のこの感覚には今読んでいる本がとても影響していて、その本を読んでいるとこんな風にことばに置き換えてみていること自体がもう本質からずれちゃっているんじゃないかと少し思わなくもないけれど。
うつくしいものはそのものだけで、単純にうつくしい。
いくらことばを尽くしても追いつくことはなくて、そのうつくしさはそのものだけがあらわしうる。
とすると、踊り手というのはそのからだそのものが否応なくそこにあらわれていてなにかを感じてもらいたいと願っているわけで、存在自体に託さなきゃいけない。
なんて多くのものを要求されているんだろう。
というか、要求しているのは私か。
それなのに、私がつまづいているのは全然とばくちの、およびもつかないところなのだ、と考えると…たまらない気持ちになる。
~みたいに、とかじゃなくてもっとこう、こうでありたいしこれしかありえない、という景色を見出したいのに。
そうしなきゃそこから飛び立てない。
そこから絡み合ってゆけない。

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『LEFLET(ルフレ)』
日時:5/14(木)・15(金)  19:00~ (18:30開場)
場所:東京芸術劇場小ホール1 (Click!)
構成・演出・振付:佐藤 宏 
出演:伊藤さよ子 増田真也(14日&15日)
   森田真希 竹内春美 朝弘佳央理 澤井貴美子 布目紗綾(以上14日)
   依田久美子 山口智子 工藤洋子 岩沢 彩 堀内麻未子(以上15日)
チケット:全席指定/5,000円

ラ・ダンス・コントラステ

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明後日から本番。
まだチケットがありますので、是非見にきてください。
なんか悩んでいるようなことを書いちゃっているけど、最後までうわあ!っと悩んで変えてゆくつもりだけれど、やっぱりとてもうきうきしています。
またこの仲間と踊れること、舞台にあがれること、そこで何かを見つけられること。
もしかしたらなにかを感じてもらえること。
舞台芸術はその時、その同じ時間をともに過ごすことで何かしらが結晶する芸術だと思うのです。って、アーティストぶっちゃった。
でもほんとうに。
目撃しにきてください。
と、堂々といえるようなものに、しなきゃね。

私は14日に出演しますが、チケットは両日ともご用意できますのでいつでもメッセージください