『人間失格』 太宰治

はじめにこの本を読んだのは中学生の時だったかな…。あまりちゃんとした文学を読んだことがないのだけれど、教科書に載っていた太宰治がかっこよかったから読んでみたんだと記憶している。
だけどあまりちゃんと読まなかったのか、理解できなかったのか…当時はやたらと気分が落ち込んだのを覚えてる。
でも今この年になって読んでみると全然落ち込むような要素はなかった。どうしてあんなに救いのない気持ちになっちゃったんだろうな?
自分も、闇を抱えながらもそれを表に隠して生きているように思っていたからだろうか。
だけど物悲しいきもちになったことは確かだ。
ひとはどれだけほんとうの気持ちをまわりに伝えられるんだろう。伝えようとしていることを受け取れるんだろう。少しずつすれ違うことを許せなくて諦めてしまったことを修正することはとても難しい。
本気で接すれば接するほど体力を使うし、そうしないでいようと思えばそれはそれですうすうと身軽になり、戻れないと思うと切ない。

私は常々どんなひとにもいい顔をしてしまおうとするし、そこに濁った感情がないからこそ余計に自分の存在がふわふわととりとめなくなってゆくのを感じる。
ひととの関係に悩まないひとなんてきっといない。悩んでないなぁ、って思っているひとがいるとしたらきっとそれはちゃんと頑張ってぶつかっているからだ。
信念を持たないでひととおりにこにこしていることはたやすくて、いつのまにそんなつまらない術を身にため込んでしまったのだろうと思う。
結局私は自分のことばかり考えちゃってるのかな、というのは一番いたいところ。
だから、やっぱり切り付けられたりずしりと目をつぶっちゃいたくは、なったかもしれない。

太宰治はひとが好きだという目線を世界に向けていたような、気がする。

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元々、本当に女に惚れるなどということは、芸道の人には、できないものである。芸道とは、そういう鬼だけの棲むところだ。
~坂口安吾「太宰治情死考」


人間失格