2022年最後の半月の日記

12月22日

時間に余裕がある日に限ってなにも満足に進まない。夜になるにつれて焦りだけがじりじりと積もっていってぎりぎりでひとつふたつタスクを終えて、体の中がぱんぱんになったまま、今日は何もできなかった、と薄暗い気持ちのまま薄暗い部屋でぽかんとする。
せっかく時間があるのだからいつもより良い感じでそれをやろう、と思うあまりに実際着手するまでに遠回りしたり、効率よくするにはどうすれば…などと考えている時間が長い。
昨日も書いたけれどとにかくさっさと腰を上げて、考える前に手をつけよう。ソファに座って作戦を練る時間が長すぎる。

落ち着いた時間ができたのでやっと動画の編集。先日はメニューを考えるのに時間がかかって編集までこぎつけることができなかったから。最小限のことしかしていないのにやっぱり手はかかる。

久しぶりにライチを買った。全然季節じゃない気がするけれどスーパーの店頭に出ていたので思わず。味は想像していた通り、南国の濃い甘さには遠く、まずまずといったところ。
ビールや牛乳、チョコレート、椰子の芯のところの缶詰、ヨーグルト、ビスケット、モツァレラ、年末年始に向けて少しずつ食料を買いだめする。スーパーが完全に休みになったりはしないけれど、食べるものにとぼしいお正月なんて悲しいから。
海老も買いたかったけれど程よい大きさのものがなかった。パエリアのために太った海老が欲しかったのだ。

 

12月28日

今日は祖母の誕生日。
雷を異常なまでに恐れ、死者が口をきく夢を見ると必ず宝くじが当たり、これから起こる地震を感知していた祖母。
私が小さいころ、それから弟が小さいころには祖母がたびたび家に滞在した。祖母が来る日には待ちきれず、バス停についた頃に団地の階段を駆け降りて坂をのぼってくる祖母に駆け寄る。
お母さんに秘密で一緒にお菓子を食べたり、ふわふわで餅のような肌とくっついて湯船に浸かったり、お手玉やおはじきの遊びを教えてもらったり、いつもなんだか朗らかな気持ちになって祖母のことが好きだった。

そんなつもりはなかったのに12月に入ってから急にもしかしてこれが私の来年の目標になるのかもしれない、というようなことがぼやぼやと集まってきて、なんとなく焦点を結ぶようになった。
たぶん八方塞がりな気持ちになったからだろう。追い詰められて、自分を変えざるをえないとやっと観念したというか。

夜はうどんにする。
つい一昨日もうどんで夕飯を済ませてしまったので具を工夫しよう、タンパク質が足りないから卵たっぷりにしようかな、それで私たちが大好きなベルビルの中華のうどん屋さんの卵うどんを真似することにした。ただがしゃがしゃスクランブルエッグのようにした出汁をきかせた卵をのせただけだけで、本当のあの卵うどんの、干し肉や青梗菜や海老のうまみたっぷりとはちょっと違うけど。
あの干し肉をいつか買ってうどんをランクアップさせたい。

 

12月31日

久しぶりにストレッチライブをする。
通しで参加してくれたのはほとんどがメンバーの方だけれど、大晦日にも挨拶ができたらという気持ちで始めたことだったので良かった。
忘年会ラジオはほとんど用意もせずに始めたにも関わらず、スピーカーとして参加くださった方のおかげでだいぶ濃い時間になった。考えていたよりも長い時間話してしまったので、マシュマロでお便りをくれた方に返事が届かなかったかもしれない。

ラジオのなかで、12月半ばくらいからぼんやりと浮かんできていたこの1年の停滞感のことを話しているうちに、少しずつ頭が整理され、この先どういうことを芯に持って進めば良いのか、自分がちょっと苦手でも身につけたい/つけるべきと感じているものは何なのか、ということがまた濾し取られた。やはり口に出してみること、聞いてもらうことで整理のつくことというものはあるな。

今の時代に人にものを聞いてもらうためには、今の時代のやりかたにある程度自分を合わせる必要がある。でも今の時代のやり方自体が、ひとが本質的なことを捉えようとするのを阻害していると感じているので(自分の選り好みの問題とは別に)自分がそれに合わせることで加担したくないと思う。
ジレンマだ。
「今の時代」のようなものに揺らがされない何ものかになるか、捉えるかをするしかないんだけど、道のりは長いな。

とにかく来年は自分の心の底からOKが出ないと動かない、というようなことをちょっとは変えていきたい。
もちろんそれがストッパーとなっているのだから本来は大事にすべき境界線ではあるのだけれど、今のそのラインはこの数年で頭でっかちになった私が引いたラインでしかない。
もう一度体で飛び込んで、打ち壊して、必要ならば新しく引き直せばいい。