新年の日記

1月1日

先日注文した有名店のお茶を飲みながら、素敵な香りがするけれど茶葉の深みが感じられない、第一印象の華やかさに比べてあとに残るものが薄いなということを話した。せっかく買った美味しいはずのお茶にケチをつけるのは気が引けたけれど表にあるものと実質のようなものの間に落差があることが気になった。
これは多くの香水にも感じること。つけた瞬間には良い香りなのだけれど厚みのない感じがして長くつけていると疲れてくる。誰かのイヤフォンからこぼれているシャカシャカした音をずっと聞かされているみたいに、薄くて馴染んでこないような匂い。
表層がそれらしいのにその奥に根っこがないというか、本質が軽いような感じ、今の世界にいっぱい転がっている。

 

1月2日

お正月から文句を言ってしまうなんて反省すべきだな。

 

1月3日

私は枕に左頬を押し付けて寝ている。
まだ意識ははっきりあるのに、でも目の中に夢がはじまっている。ときどきそういうふうに夢をみる。
目の瞑り方にはふたつあって、どちらもまぶたとまぶたは接しているので外の景色は見えていないが、まぶたのなかにあるまぶたを開くと、目を瞑っていても色んなものが見える。目が開いているのかな?と思うくらいに色んなものが見える。
眠たいのでそのまぶたすら閉じてしまいそうになるけれどそれでは見ている景色が消えてしまうので意識的に内側のまぶたを開いておく。

だんだん景色が見えてくる。

ある男の子が私を迎えに来て、ざわざわと人の集まる地下の奥の方へと手をひっぱってゆく。私は必死にまぶたのなかのまぶたを開いて男の子を見失うまいとする。  
一度だけ本当のまぶたを開けてみたが枕と充電コードしか見えないのでまた外のまぶたは閉じる。
男の子は私の手を離して人垣のなかを縫って走りながら時々私を振り返る。ついていっているよ、と顔だけで知らせて大勢の人の顔の中に男の子の顔が混ざらないように、見分けていようとする。人は1000人くらいいる。時々ゴッホの絵のように1000の顔同士が渦を巻いて混ざり合おうとするのを目玉に力を入れたりまぶたの中のまぶたを瞬いて、はっきりさせる。
騒がしい音が流れているはずなのに音は聞こえない。だけど空気は濃くて粘度があって少しだけビビッドだったのでうるさかった。
人々の感覚が狭まって、肌にまとわりつくようになってくる。風のようだった感触がだんだん水のように、布のように、ゴムのように、ガムのように絡んで進むのを阻んでくる。もう男の子は見えない。  
目を開ければこの夢から覚めるのは分かっているから、少しくらい怖い思いをしても平気だ。できるだけ底まで行こうと思う。あまり自分から離れ過ぎたら枕の上に戻ってくればいい。 

 

1月8日

夢で何度も訪れて地図まで描いた町、そっちのほうが本当の自分の時間で体験なのだとこころの奥では信じているような人間が、生活のためのルーティンなどこなせようはずもないのだった。

理解したように錯覚してぜんぜんちがう世界で言われている別のことをそれと同じこととして繰り返すひともいたし、自分が心に抱えているものとまったく同じだと思って心酔するようなひともいた。
どちらにも話が通じていないことはすぐに分かるが、「わかっているよ」と伝えてくれていることに対して冷たい態度をとりたくはないから、そこはそういうことにして、微笑む。
わからないでもなく、大げさに捉えるのでもなく、当たり前のことであるとともにそれがどんなに得難いことであるかを真に理解してもらったのははじめてだったのかもしれない。

パリに来てから、言葉もわからないし、自分の知った文化と違うものが説明もなくそこにあるから、色んなことを勘違いして受け取ったり、不思議なものに見えたりした。
言葉もそう。
わからないから色んなふうに想像したり、察したりしようとする。もちろん的はずれなことも随分あって、きっと、もしかすると、今でも勘違いしたままのこともあるかもしれない。
それは生まれてはじめてこの世界に触れたときのことを思い出させる、のかもしれない。もう私はそのことを、1歳半のときのあのはじめて言葉を意識した瞬間以外は覚えていないけれど。

そういう意味では、グカ・ハンの『砂漠が街に入り込んだ日 Le jour où le désert est entré dans la ville (Chaoid) 』を読んだ時の感じ、あの本が母国語じゃない言葉で書かれ、異国のような場所を異国のようなからだでさまよい、そして私もそれを母国語じゃない言語で読んだ。
そういえば子供の頃からこの体はいつも異国のようでもあった。

『優しい地獄』を読みながら、もしかしたら私はもっと、この、知らない世界を手探りで進むような体験のことを煮詰めてみたいのかもしれないと思い始める。
母国語でない言葉で書くひとの本を読んだりすることもきっとそのひとつ。