書く、ということについて時々思い悩んだりするんだけど今日もそんな感じ

ものごとを深刻にしすぎて、黙り込んでいる時間を長く取りすぎているのかもしれないとふと思う。 

一時的な思いつきや感じたことを噛み砕かないまま口に出すの軽率だし、あとから冷静に考えたら間違いだった、言い直したいと思うこともあるかも知れない。 ちょっとしたニュアンスを表現しきれなくて誤解が伝わってしまったら後悔してもしきれない。
それに、もし中途半端なものだとしても一度口にしてしまえばそれはそれで気が済んでしまう。このこと自体には良いも悪いもないのだけれど、少なくとも今わたしが求めていることはこれではない、気が済んでしまうことに甘んじていたくないという気持ちがある。身のうちで発酵するのを待ちたい、ような。

でも最近はちょっと黙り込んでいる時間が多すぎるかも。それぞれのことが煮込まれすぎてお互い溶け込んで、分離できなくなっている。果たしてわたしはじっくり考えているのか、そのカオスのなかでただ溺れているのか、はたまたもう溺れてすらおらず濁った視界のなかで呆然としているのか。
扉を開けて受け取ることだけで過ごそうとすると、こういうぼやっと、ただ分厚くとっかかりのない世界にまぎれてしまう。書くために剥がすということも難しくなってくる。
普段から言葉にして分けておく作業は、大事なんだな。
いや、なにをいまさら。
言わずもがなのことを私はすぐに見失う。


感じたことや見たことのほんの端っこしか言えていないことに、何度もがっかりさせられる。
自分はもうちょっとことばと親密でいると思っていた。
言葉をうまく操れるとはもともと思っていない。頭のなかでごちゃまぜになっている時間軸をどう順番にほどけばいいか分からないから構成もなっていないし、文どうしの繋がりもスムーズじゃない、だいたい自分の文章をしっかり見返したり反省したこともないから上手になりようもない。
だけど「言葉はどうしても追いつかない」と感じつつもなんとかいくぐって、細い糸で掬いながら、指で潮目を嗅ぎわけながら泳いでいけると思っていた。少なくとも、いま眼前に漂っている景色の名残のようなものを、あとから再現できる程度には。
だけど今は身のまわりが重たくて濁っていて、水をかき分けられているのかも良くわからない。

とはいえこんなこを書くということは、それでも書きたいということに違いないんだから、自分なりに散策するしかない。
散策は、好きだしね。