すかすかでむだにあつい宇宙



昨日で第3回目のミニ展示が終わりました。
1回目は水面や植物の写真。
2回目は雨のカフェとガラスに映った浮草の写真。
そして3回目はおばあちゃんの写真でした。

昨日写真をひきとりに行ってそのあとマスナリさんと、おむかいのギャラリーニエプスの新納さんとカニピンでご飯にしながら、いろんなことを話しました。

わたしがやっていることっていったいなんなんだろうなあと。
踊ったり撮ったり文章にしてみることは自分のなかではとてもはっきりとした欲求だし生きてゆく上で必要なんですとゆるぎなく言えるけれど、おおきく膨らみすぎた飛行船みたいに全貌がみえない。
こまかに分割して説得力を持たせるということをこころみているつもりなのに、いつのまにか全部がくっついて混ざり合ってふくらんでしまう。
からだのなかではこうやってガスやら星やら液体やらがあらゆる姿のまま混沌としてくれていればいいんだけど(名づけられないままでいい気がする)、やはり的確にシュートさせることは外部に対しては不可欠なことだし、ちゃんとそのどこに着火したらいいのかを知ることは生み出すにあたっても無視できない。

どこかで溺れている。
風景とか、感情みたいなものとか、憧憬とか、熱いうねりのようなものがばしゃばしゃ顔にかかってちょっとのんじゃってる。
満ちているように感じているのは自分だけで、実際はどのセリフも通じていないかもしれない。
むずかしいな。
飼いならすことで冷ましたくもないし。
ああ、ここをちゃんと上りきって見渡したい。

おばあちゃんの写真についてはまたあらためて。