『エル・スール』 ビクトル・エリセ

気づくと画面には切り取られた青いひかりがあって、だんだんそれが明けてゆく夜だと気づく。
瞬くことも惜しんでその色を見つめる。
私もこの景色を知っている。
シーツの波が青白く照らされ、女の子の寝室なのだということが分かってくる。
吼える犬、冷たい朝の霧をまっすぐに射抜くような呼びかけの声。

美しいはじまりだった。

父と娘、という景色に弱い。
若いお父さんが自分の娘の手をぎこちなく握っていたり壊れるものを扱うみたいに丸いおしりを抱いていたりするのを見かけると愛おしくて涙が出る。
父と息子、母と息子、母と娘、父と娘。ひとはそれぞれなはずなのに、このそれぞれの関係にはそれぞれの典型みたいなものがある気がする。
エリセも父と娘というつながりのかたちには特別な感情を抱いていたのかな。

親に対する感覚が変わった時、ひとは大人になるのかもしれないなあ。
お母さんもお父さんも私を生んだり育てたりすることは初めてだった、だから間違ったりもしたんだ、と気づいたとき、とてもびっくりした。
自分が生まれる前から生きて、私をつくった存在が完全でないなんて、子供の頃はわからなかった。(なんかこう書くと神さまとひとの関係を思い出すけど)
たぶん、絶対のまもりが欲しくて、反抗したりするんだろうな。


心の深いところにはほんとうには立ち入れない。
親子であっても、こいびとであっても、友達であっても。
ほんとうに決めることができるのはそのこころの持ち主だから。
でもだからこそ、なるべく包んでいたいし、動かしたいと願う。
無力だなんて思わないし、思わないでいてくれることを尊びたい。

永遠であることはすてきだけれど、失ったものも永遠になるかもしれないのだとふと思った。


どうして自転車だったんだろう?
(もちろん、バイクだとうるさいからなんだろうけど)
エストレリアの自転車。
子供にとって一番広い世界は自転車で行ける範囲だ。(電車はだめ。自分のちからじゃないから)
まばたきをするのも惜しむように、朝のひかりを見ただろうか?
それとも湿った靴の先ばかりを?

あんな美しくてかなしいもぎとられかた。

でも生きてゆくから、南へ、なんだな。

未完だったらしいのだけれど、この終わりでよかったと思う。


エル・スール