『萌の朱雀』 河瀬直美



殯の森を見たときもそう思ったけれど、緑がきれい。
ただまっすぐに飛び込んでくる緑。光に満ちていたり白くくすんでいたり雨に翳ったり肌に映ったり。
含む風やそれぞれの種類のかおりが感じられるような。

ただこころの時間のねじを緩めて眺めていればよかった。
おばあちゃんが物思いにふければ私もふける。
みちるがみつめれば私もみつめる。
お父さんが息を止めれば私も止める。
ただ、それを見守っていればいいような。

みちるの気持ちにはなんだか覚えがあって(きっと多くの人がそう思うのだろうけれど)、懐かしくてなんだかいとおしくなった。
小さいときのみちるが本当に可愛かったから(山口紗弥加さんだと知ってすごくびっくりしたけど。可愛くて何度も巻き戻して見てしまった)、余計に切なくて。

どうしようもなく別れなくてはならないときがあって、時間にも状況にもどうしても抗えないときがあって、そのかなしさをいっぱい胸にうけた。
でも、なにかを失っても残りの人生を生きてゆかなきゃいけないし、時間はちくちく運んでゆく。
そして残るもの、変わってゆくもの、ひきとめられないもの、手放そうと決めるもの、…。
やさしさのなかですべてが進んでゆく。
静かなつながりのなかで。
それでも、ほどけてゆくこともある。

こんなに何も語らずに痛いくらい感じさせるのが、いい。
私たちの日常は誰にも説明されないものだから。
こころのひだのようなものを探って、ほんのちいさな揺れをみやぶって、少しずつ入り込んでゆく。
その過程をちゃんと預けてくれる。
見るものを信じてくれているんだなあ、という気がした。

お父さんの8ミリのような写真が撮りたいと思った。
ぼけちゃって光もはいりすぎちゃって、でも長年美しいと思ったそのことだけを見ている。
うつすこころとうつったものの間になんの余計なものも入り込んでいない。
…ように感じる。
でも不思議。だってあれは架空のひとが撮ったビデオなんだから、もちろん撮影したのは映画をつくったひとなわけだから。
なのに、お父さんの人生とつなげて考えて、それだからこころが揺れる。
村のひとの表情はやはりぎこちない。でもそれも、あのお父さんが撮っているところが思い浮かぶような気がした。

いい映画だったな。
とても好き。
(あ、でも実は、時間がたったことにしばらく気付かなくて、この青年と女子高生は一体誰なんだ、この家はいったい何人家族なんだ、と考え込んでしまった。ソクーロフの撮った日本の映像を見たときくらい音量をあげちゃった。)