朝を告げる

No.2622

去年の今頃鳴いていた鳥の声が今年は聞こえない。 ここに来たばかりのころ、毎朝その声に起こされていたのに。

南国の鳥がいる、とわたしは思った。 ここはどこだっけと白い壁を見ながら、森のなかで目を醒まして、わたしはまいにちを少しずつからだに溶け込ませることからはじめた。

旅立つ日の夢ばかりみた。 飛行機のチケットを取っていなかったとか、話し込みすぎてフライトに間に合わないとか、空港への坂道が70度くらいの急勾配で登れないとか、そんな夢ばかり。 毎朝の4時ちょうどに目を覚ました。 自分の輪郭だけがここからずれているような気がした。 パリにいるのに、パリに辿りつけないと震えた自分の中の空洞を越えられない。

けれど、陽がのぼる頃かならずその鳥は鳴いた。

フランスに来る2ヶ月くらい前からご飯が食べられなくなった。 熱が39度あっても三食に加えおやつや夜食まで食べるわたしが!気のせいだろ。と自分をなだめすかしても誤魔化しても焦っても、口にご飯を入れることができなくなった。 今考えたら極度の緊張のためだったのだと思う。 また土台から建ててゆくことになる、踊ることばかりじゃなく、生活までも、それができるんだろうか。 奮闘叶わず何年か後に日本に戻っても、もう私にとっていろんなことが遅すぎる。 10年勉強した英語でトイレどこですかも聞けないのに、フランス語なんか話せるようになるのか。 親のことは? アパートメントのことは? そんなことでからだがカチカチになっていた。 臆病風に吹かれるとわたしはとたんに情けなくなる。

どんなに羽根をひろげても、どんなにいっぱい空気を吸い込んでも、心が欲するままでいても、いいんだ!とフランスに来てすぐに分かった。 毎日ちょっとずつからだがふにゃふにゃになっていって、ご飯が美味しくなっていって、自分がこの風景の中に重なって見えるようになった頃、 鳥はどこかに渡っていった。 (そしてバカンスが終わり、近所の学校の子どもたちのきゃーきゃーわーわーがそれに取って代わった。)

あの鳥、今年はどこにいるのかな。 フランスがあんまり涼しいからまだ南の国にいるのかもしれない。

またいつか、声をきかせてほしい。