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ピアノと弦の音を聴きながらずっと考えていたことがあって。
これから自分がどうなって行くのかなとか、今の気持ちをどうしたらいいのかなとか。
少し遠くに見える山にいっぱい生えている樹に雪が降りかかって青い灰色に見えて、実際は近いのになんだかその距離が現実のものには思えない。写真やテレビで見るようにわたしの現実の延長のそばになかなか繋がってこない。やっぱり何か、ここはどこか手の中にはない、わたしの範疇には入らない。
ただ時間が必要なだけなのかもしれないけど。
ひとりでもどこにでも行くことができるということの本当の意味をやっと5年くらい前に知って、それは何かから切り離されたり失ったりすることと一緒に手に入るものだったりもするけれど、そこでひとりで立っていられなければ大切なものをあたためることもできない。
つくることもそうだし、見せることも誰かと触れることも、すべて、どうやって生きていけるかというそのもののことなんだとようやく身に馴染んで、けれどそれでも毎日小さく向きを変えながら分からなくなったりいちいち喜んだりきりきり目を閉じたりする。
うわべだけのことはいらない。
ちゃんと話がしたい。
何を見ているのか知りたい。
どう感じているのか聞きたい。
その対象は自分の内にも向かうしもちろん外にも向けられていて。
ほんとうに欲しいものに真っすぐ手を差し出すことがなかなかできないのは自分を知らないからだし、知らないのはいっぱい覆いをかけて見えなくしているから。こうあるべきっていう思い込みとか臆病とか見栄とか、こうありたいっていう背伸びとか疑うこととか、そういう何重にも重なったいろいろを払って、くぐって、ぶれずに芯にたどり着いてまっさらな一握りを見つけるのはむつかしい。
でもいつだってそれを抱えている。
真ん中にあることはそんなに変わらない。
いちどそこに引き入れたことは簡単に消せない。
ほとんど手付かずのまま澄んで、くつくつ煮えながらわたしを動かそうとする。
そのかたちも知らないまま、からだの中はそれを聞いているに違いなくて、足が向かう。
余計なまわり道をしたりいっぱい壁に色を投げ付けてみたりしてようやっと糸の端に触れる。
でもそれは、ほんのときどき。
もどかしいくらいに、ときどきしかわからない。