今日は『madam B 』千秋楽です

昨日リハーサルの真っ最中、もうほとんど踊り終えてさよのラストシーンを背中で聞いている時に、こうして作品を踊ってはそれが終わってゆくのは新雪を踏んでは消えてゆくことに似ているとふと思った。
この中のいっときでしかわたしは生きていない、積もって残るものではないんだなぁというようなこと。
それがつらいとかかなしいということとはもちろん違う。

いつも新しく踏んで、過ぎてゆく。
作品は過去になるしわたしも次の作品をあたためにゆく。
たった短い何時間だけが現実で、そこに立ち合うために、立ち合ってもらうために。
その積み重ねをずっとしてきて、なにか今この手に残っているものがあるんだろうか、とふと考えたのも事実。
かたちのあるものをひとつでもわたしは残してきたんだろうか?
ダンサーはそういう意味ではかげろうみたいないのちだな。
舞台が終わるのがちょっと淋しいのかもしれない、きっと。

ときどき舞台をやるより直接子供に踊りを教えることの方が的確に差し出せるかもしれないんだよな、と思うこともある。
でもそう考えてもやっぱり、的確さなんかむしろどうでもいい、というところにおいて(わたしにとっては)舞台を前には何ものも勝つことはできないんだろうなとも思う。


今日は千秋楽。
こころを込めて丁寧に(友達のお母さんの遺言)。
いっぱい味わってきます。