ラボからの帰り道

写真をプリントしてもらうラボの行き帰りの道が特別なものになった。 今まで体験したことのない気持ちで歩くから。 そっくりまかせてイメージとどれだけ近づいているのかというどきどきと、期待と、もう自分にできることはないという潔さ。 それから、なにかとても張り詰めている。 ものごとを感じる糸のようなものが繊細に、鋭く、でも包むみたいに。 すこしだけいろんなものがきれいに見えて、たくさん空気が胸にはいってくる。 ちょっと泣きたいかんじになる。 あんまり、世界にいっぱいのことがあって。 白が当たり前の白じゃなくて、いろんな色の集合に見える。 色をみなきゃいけないプリント依頼の時にはちょっと困るけど。

わたしにとって、撮ることは孤独のうちにおこなわれるべきことらしい。 踊ったりひとまえに出ることが多いからなのかそれとももともとの性質なのか、近くにひとがいると自分自身がみせるからだになってしまう。 容れものを捨てて混じり気なくほんとうに見ることは、ひとりになったときにしかできないような気がする。 そうじゃないと結べない。

来週からの写真展のセレクトの時にはまだ自分がなにを選んだのかよくわかっていなかった。 でもプリントしてもらった写真を見てすこし、それがわかったような気がする。 うまくことばで言えないけれど。 わたしが手をのばしている先はわたしのいちばん奥深い中心にあるはずなのに、まるで世界のいちばん高くてひろいところに逃げているような感じがする。

ダイレクトにものを見たいという祈りはいつも叶えられない。 もしかしてそれは、ほんとうにわたしが望んでいることじゃないからなんだろうか。

ひとりで歩いているとどんどん表面は寡黙になる。 けれどなかみはどんどん騒がしくなる。 景色がちょっとした記憶をひっかけて水面に持ってくる。 でもわたしはしずかに、ひとりで歩いている。 ときどきからだのなかに収まりきれなくなるんじゃないかと思う。 だから、わたしは踊るのだろうけど。