しゅうへんをはしること



ずいぶん前にこの舞台美術の感触は好きだな、と思って画像を保存しておいた舞台がある。
演出のかたのインタビューというかブログのようなものもそこには載っていて、いつかこのひとの舞台を見てみたいなあと思っていた。
つい先週、そのかたと話をする機会があった。
まさかそのかただとは、おとといまで気付かなかったのだけれど。
思いがけずも繋がったことがうれしい。

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手元にひきよせずに、ずかずか分け入ってみたいな、いまは。
どうせてのひらで吟味しているうちにぬるくなってしまうんだから、すばやく切り込んで、外のことにどう反応できるかを積んでみる。
自分のことばかり考えているうちは何にも責任をもてないままなんだな。
自分のことはどうにか騙せるから。(あとで喰らうしっぺ返しは、まわりを騙すことよりも痛いものだけれど)
自分のことを手放さざるをえないほど、身を振り回してみる。
しんと考えるのはときどきでいい。
だってただでさえ立ち止まりすぎるから。

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舞台を見て元気になってほしいんだと思う、って高校生の時からずっと言っていた。
踊りをみせる理由。
去年の終わりに「一緒に生きているから」ってことばにしてみてはっとした。
たぶん根っこは変わっていない。
舞台は、自分がなにものなのかっていうことを探す場所なんじゃないかと思う。
それは見ているひとにとってもおなじことで、その時間を生きることで日常の時間を生きなおすというようなこと。
ことばとかストーリーが差し出す内容をかたくしばってはいない身体表現においては特に、そこから受けとって日常に持って帰るものはそれこそそのひとだけのものであって、それはもしかしたら演者が届けたいものからは離れているかもしれない。けれど、だからこそ深く触れることにつながる。
そういう密接なやりとりを、わたしはしたいのかもしれない。