このシーンが好きだった。
自分の汗が少し引いたころはじまるソロ。
本番の何日か前にふっとつくりが変わって、ああ、そうかー、って思った。
きっと本人が思っている姿じゃない、ほんとうの彼女がそこにいて、その姿はなんだかぎゅっと守りたいようななにかがあった。
ピュアとか、透明とか、無邪気とか、近いことばはあるけどそうじゃないなあ。
発見している子供みたい。
見つけ出そう、みつけだそうとしていたのを知っているからかな。

今回、仲間についてたくさんの発見があった。
あんな動きをするっけ?
あんな心地いい空間のとらえ方をするっけ?
長く一緒にいて気心も知っていて、なのに踊りが、知らなかった姿を見せてくれる。

今はどうしてもそのひとそのものが発するなにかという部分に目が行ってしまう。
手段は何でもいい、テーマも何でもいい、かんじんなのはあなたが何に動かされたか、なにを語ろうとしているのか。
それが見たい、というふうに思ってしまう。
だから一緒に踊っていて踊り方について「どうしたらいい?」とアドバイスを求められたときにも、もうそこを満たしてさえいればいいような気がしてしまって、参考になるようなことを言えたかどうか…。
それじゃあいけないなと思う。
この場所で凝り固まっちゃいけない。
にんげんみたいなものを見たい、そしてそれから?
その先をさがすこと、こころに留めておかなきゃ。