油絵とともに踊らせていただくことになりました



11月末に画廊で即興を踊ります。

●石原智是展
日時:11/30(月)~12/5(月)
場所:銀座ギャラリー アーチストスペース
(※私が踊るのは11/30(月)の18時からです。)

今日はその初顔合わせ。
夏のAAPAの淡路島報告展で即興で踊った時に見に来てくださった日本美術&舞踊評論家の宮田さんのご紹介で、今回絵と即興音楽とライティングの作品に混ぜていただけることになった。
宮田さん以外は初めてお会いする方ばかり。
どんな作品の世界を持った方なのかも知らない。
打合せ前、手がかりになるのは宮田さんが書いた石原さんへの評論文だけだった。
その文章の中にとても惹かれるエッセンスのようなものがあって、今日の打合せでいろいろ聞きたいなぁと考えていた。

実際お会いして話を聞いて、今すごくわくわくしている。
石原さんが伝えてくれたことはすべてすんなりと、しかも躍るように輝きながら感覚にしみ込んできた。
私もきっとそこからそう遠くないところで世界を感じたいと思っている。
そんなふうに感じる部分が随所にあって、頷きながら聞いていた。

石原さんはもうずっと同じ場所に通って、その場所に居ながら、書き続けているという。
同じものを見つめてほんとうにそのものを知ること。
何かに深く降りてゆくときに触れ得るのは決してそれひとつだけではない。
何かの内側を深く知ることは、それ以外の外側、宇宙全体を知ることなのかもしれない。
踊ることを通じて私はずいぶん色んなことを知った気がする。
けれど最近、もっと遠くに感覚が伸びてきているような気がしていた。
それは触覚であり、知覚でもある。
もしかしてそういうことなのかなあと帰りの電車で考えてみたり。

長い時間何かに向かって感じたり考えたり気付いたりすることは、他の誰にも分け与えられないことなのかもしれない。
人生をすべて説明したり分けたりはできないように。
でもそこで生じた、口にできることとの距離とかどうしても取り出したい喜びとか、驚きとか、切なさみたいなものとか…そんなものをわたしたちは誰かに伝えたいと思うんだろう。
だから、表現したり、教えたり、ひとと話したり、ひとを包んだり、する。

来週、石原さんのお宅にお邪魔して絵を見せていただくことになった。
もうお話を聞いただけで作品がきっと好きだという予感はある。
絵を見て打合せそれから飲みましょう、ということだったのだけれど、お願いして、昼からお邪魔して実際にずっと長年描いているその場所に連れていっていただくことになった。
どうしても、今回はできるだけ実感したいと思ったから。
たくさん持ち帰ってこようと思う。

AAPAの公演に向けて、淡路島で踊らせてもらった場所や時間の風景・感触を地図にする作業をずっとしてきた。
その創りかたは私にとってとても自然にのびのびと広がることのできる方法だった。
自分が何を好きか、どう動きたくなるか、インプットに対して皮膚の上でかたちになる時にはどんな変換が行われているか。
かたちにできないと思っている一番の深遠に絡まる物語はどんなもので、それをどうしても語りたいとしたらどんなアプローチがあるか。
照らしかたのヒントもいっぱいもらった。
演出家にも共演のダンサーにも、もちろん音や光や美術…。
そのまま素直に居たり取り出してみることも楽しかった。
ちょっと間にしかけを施すこともできる筈だと模索した。

その方法を、今度は外からの選択やアドバイスやなしにやってみようと思う。
その場所に行きたい。
石原さんがそこを見つめた時間に成り代わることは当然できない。
でも、どうしてもそこを見たい。
私がそこからなにを引き寄せるのか。
削って残してくるのか。
日常のわたしとどのへんでつながるのか。
時間を越えたいつかの感覚に触れることができるのか。
わからないけど。

このからだで語るのだから、ちゃんとそこにいって、からだが行けないところまでも探りたい。

+

今回宮田さんがこうしてこのメンバーに引き合わせてくれたことに感謝しています。
なぜ繋ごうと思ってくれたんだろう?
ほんの少しの時間を共有して話しただけなのに、こころの引き金のようなものが確実にひかれて、からだじゅうがさわさわそよいでいる。
そこに今一番惹かれていることのひとつがあって、そしてそれが私のなかの最新の踊りの創り方のようなものにまっすぐにリンクした。
どうして知っていたの?と聞きたくなるくらいだった。

なによりもまず、自分がいただいたインスピレーションのようなものに追いつけるかどうかが気にかかる。
自分が未熟者だからがっかりさせるのがこわいなあ…という気持ちよりも、もしもいいものにできなかったらなにより自分ががっかりするんだろうという気がしている。

きっと、いい決意。