日記コミュニティ、観光と演劇、ビロード革命

Twitterに日記のコミュニティーを作った。
短い日記なら年末から書いているからこれからも続けられそうだし、もし誰も参加しないとしても自分の日記倉庫にはなる。願わくばいろんな方の日記を読めるといいな…と思っていたところ予想外に多くの人が参加してくれて嬉しい。
気負わず長く続けていこう。

 

長くフォローしている舞台演出やプロデュースにかかわっている方のスペースを聞いた。興味深い内容だったのでできれば腰を落ち着けて聞きたかったけれど、あれこれ動きながら。
地方でアーティストがどう活動してゆくか、観光と舞台表現との関わりなど、またゆっくり聞きたい話題であった。
むかし、南あわじの風車の観光案内をしながらパフォーマンスをする夏があったことを思い出す。待機時間は長いし(いつお客さんが来るかわからない)、パフォーマンスを見るつもりじゃなかったお客さんの、傍らで急に踊りだす私たちへの「なにを見せられているんだ」という冷えた目がダンサーたちの気持ちをどんどん削っていったのを覚えている。
というわけであまり成功したとは言えない気もするのだけれど、でも「うまくいってないな」という思いの裏に、ここには何かわたしの胸をくすぐる種のようなものがありそうだぞ、すごく遠くにだが、という感触がしていたことも覚えている。
観光のあいまにパフォーマンスの時間を挟む、といった単純な抱き合わせではなくて、「観光」とはどういう体験であり、「その場所で踊る、その場所にいて見る」ということは果たしてどういうことなのか、その間のことを考えるべきだったのだろう。
むずむずしながらもそういうことに思い至れなかった。
もし今だったら、また別の取り組み方ができるんだろうか。(いや、でも体力的にしんどそうだ…)

 

 

こちらを読んでビロード革命にヴェルヴェット・アンダーグラウンドの音楽が関わっていたということを知った。
ヴェルヴェット・アンダーグラウンドといえば私にとってはあの有名なバナナのイラストのCD。2004年にベルリンの中古レコード屋でジャケット買いして、家にあったCDプレイヤーで何度もなんども聴いた(ブラック・アイド・ピーズとかジャスティン・ティンバレークとかも。懐かしい)。久しぶりに聴いてみたら、あの大きなガラスの居間や斜めの天井、工事現場に投げ込まれたみたいな騒音をたてるハイツング、ご飯が作れなくて駅で買ったトマトとモッツァレラのサンドイッチばかり食べたこと、飲み終わったワイン瓶に蝋燭を立てて、燃え尽きたらまた立てて、いつまでも飽きずに話したことを思い出す。
港千尋『注視者の日記』や『明日、広場で―ヨーロッパ1989‐1994』のなかにヴァーツラフ・ハヴェルの講演を聞いたときの様子や町の雰囲気が描かれていたりして、今まで歴史の中のシーンのように思っていたビロード革命が、写真や映画のようなものではない角度から少し身に触れて感触できた気がしたのだけれど、今日そこに音が加わった。

注視者の日記

注視者の日記

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