雨音

ただ音があって、振付けをつけて、精一杯に踊る、という場面をなかなか目にしなくなったなあ、そういう何だかほとばしるみたいなことでわあわあと踊って、からだにいっぱい何かが満ちて、そういうのが懐かしい気持ちになった。
懐かしいというのは私はもうそこを通過した、ということではまったくなくて、どちらかというと今の踊りとの付き合い方の中ではそれがどう姿を変えたんだろう、というようなことを思った。

写真も踊りもほんとうに素早く過ぎ去るものだなと思う。
写真は時間が意味を変える、ということも含まれるのだけれど。
踊ったり写真展が終わって自分の中にどうしようもない穴が空くのは燃え尽きたからだけではない、過ぎ去ることがいつも何かをもぎとっていくからだ。
もちろんもうそれを味わいたくないとは思わない。
どうしても私にはこれが必要だから、というのとも違うかもしれない。
わたしはこのことと一緒にやっていくのだ。
ただそう思うだけ。


12月にコントラステで振付をする。
といっても本公演ではなくてスタジオパフォーマンスなのだけれど。
自分の作品や即興はもうずいぶん踊ってきたけれど誰かに振りを踊ってもらうのはとても久しぶり。ジャズを教えていた時以来じゃないだろうかほとんど…。
今日は作品に出てくれる白髭真二さんの舞台を見に行った。
素直につくろう、と思った。
良さを良さとしてそのままいられるように。

個展は明日まで。
あっという間だった。
明日はなにが聞けるだろう。