空間の測り直し、頭でっかち

復活祭で週末の仕事がなかったので爪が2週間分伸びていた。一昨日あたりから爪の先で壁を引っ掻いたり服に引っかけたりすることが数度あった。ほんの数ミリのことなのに、この数年で自分の腕の長さ、作動半径は爪をきちっと切った時のものがすっかりインプットされていたのだな。
私は体幹をなるべく移動させないように必要なときだけ迂回する、というルートを空間の中に描きながら生活しているみたいで、ものや人とすれ違うときにはその産毛を感じるか感じないかくらいのぎりぎりの距離で避けたりしている(迷惑)。
作業半径を計算し直したので爪は何も引っ掛けなくなったけれど、やはり昨夜爪を切り直したのでまたここしばらくで慣れた腕の長さで生活できる。

 

心に抱えた重大なことは、思わぬほど後になってから姿をあらわすのかもしれない。
少なくともそれを2017年にも感じたし、今も(年末あたりから襲っているこれも)おそらくそういうことなんじゃないかと思い当たることがある。
2011年のことにしてもそうだ。
それとも、こうして原因と結果を単純に結びつけて説明しようとしすぎなのかもしれない。きっとそうだ。自分のそういう癖はちゃんと分かっている。関連を探そうとした目は、どんなに小さなことも拾いあげては、都合の良いように過去を微細につくりかえて、数珠つなぎにする。
いずれにせよ私を動けなくしているもののひとつは自分自身で繰り返しなぞって深く刻んでしまった不信感なのだと思う。言葉を通じて世界を見ようとしすぎてこうなっている。それなのに言葉でこうしてまた捉えなおそうとしている。

自分の説明を裏付けるための言葉を探してさらに切り刻まなくていいし、言葉から置いていかれるような焦りにとらわれなくてもいい。