世界についてゆけない気がする焦り

去年末にスペースで、パンデミック後に時間差で襲ってきた憂鬱の話をした。もう世界は動き始めているし自分も物理的には動けるはずなのにコロナ禍で被った状況がそうはさせてくれないことで自分だけまだ時間が止まったままでいる、ような焦りについて。
あの時より大きく動けるようになったわけでも、状況が好転したわけでもないけれど、少なくともそれを何かのせいにするような心持ちからは抜け出ることができた。
その時に、日本ではこれから私が感じたような気持ちになる人が出てくるんじゃないかという気がするという話をした。私だってそうだったから、と単純に個人的感覚を多くの人にずらして見ようとしているわけではない。大きなことが起こったあとには個人ではいかんともしがたい流れがやってくる、という感覚は東北の震災から10年を経て実感されたことだし…いや、でもそういう意味で言えばただ私の個人的な見方なのかもしれないけれど。
どういう状況にその人がいるかによって(自分または身近に罹患を心配するべき人がいる、コロナ禍で経済や仕事の基盤が失われた、コロナを通じて世の中に不信感を募らせる気持ちが消えない…など)その後にやってくる状況や、行動の範囲、見てくるものの幅はある程度似通ってくるかもしれない。単純にものごとをカテゴライズして見るつもりはないけれど。
日本のコロナの状況は欧米から時期がずれたので、国内どころか世界中が平常運転に戻った中、自分だけは動き出すことができない理由が山積みのままでいる人は少なくないだろう。日本の場合、社会からの外圧のようなものも強く、それが強い閉塞感や焦りを生むのではないかと想像する。


私の気持ちの変化にはあきらかにお天気も関わっている。今まで天気に自分の気分が左右されることなんてなかった(少なくともこんなに長期的に)ので自分でも驚くけれど、陽が長くなって明らかに気持ちが軽くなった。お日さまに当たることは大事だ。単純だな、まったく。
別に慰めのために書くわけではないけれど、そんなふうにやわらいでゆくこともある。かもしれない。