ちいさい写真展に新作を出しました



第5回目のミニ『Line』展が明日、7日(火)からはじまります。

フィルムを眺めながら、ほんのとなりのコマなのにもうこの右と左とではすべての色が変わってしまった、そのことに驚いた。
そのときには考えなかったことを、もうこのときには考えている。
そのことがこの濃い茶色の細い仕切りで隔てられていることに。
ある意味ではすべてのコマがそのときのわたしのさいごの写真なのだけれど。
この前のさいごの区切りはわかっている。
でもこの向こうは見えないな。
どこまで伸びるのか、それはいつまでとどまっているのか。

今回は、そんな写真です。
もしお時間があったら覗いてください。

●ミニ『Line』展
期間:9月7日(火)~9月19日(日)
時間:12:00~19:00 (※月曜休館・最終日は16:00close)
場所:Roonee 247 Photograpy http://www.roonee.com/
    (東京メトロ丸の内線 四谷三丁目駅より徒歩3分)
    〒160-0004 東京都新宿区四谷4-11 みすずビル1F TEL/FAX 03-3341-8118
    営業時間 12:00-19:00  最終日16:00閉館 / 月曜日休館

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しかし、考えればかんがえるほどずっと自分の内面とのかかわりばかりで、薄皮いちまい隔てたほんの体温の滲むような外側にしかそれは及んでいない。
手ごたえがないのは触れられない内側ばかりかき混ぜているからだ。
ほんとうに狭い場所をたゆたっているだけでなかなか全然沖に漕ぎ出せないんだな。
もちろんすべては自分と世界とのかかわりなのだからある意味ではそこに時間を割くことが旅の重要な部分だとも言えるのだけれど…。
でも、感じることがその終点じゃあない。
まがりなりにも世界に差し出すことにたずさわっているつもりなわけで、だったらもうちょっと明確に、外側から見えるものこそをかたちとして切り取ることもしないと、と思う。

Line展の打ち合わせをしているときに聞いた話から、自分に欠落している写真の基礎力というものが、やりたいことのためにはほんとうに必要なのだということが急に身にしみた。
たとえばからだだったら、これは私と一緒に今まで生きているあいだの全てを一緒に歩いてきたしある程度の訓練もしてきたから、少しは近しいかもしれない。
もしかしたら私が意識していない、覚えていないこともちゃんとからだには備わっている。
どういうシステムを持っていて、どういう可能性の幅があって(もしくはどのくらい想像できない可能性があって)、物理的な動きがわたしに何をもたらして、もしかしたら見ている人にもそれを手渡すか、とかそういうさまざまな効果のことも。
けれど、どうしたら手渡せるくらいにはっきりと浮かび上がるんだろう?ということの答えはわかっていない。いくつかアイデアやなんとなくの成果はあるにせよ、迷いが深すぎるし、明確に握っているものがあるとはまだとても言えない。
一緒に何十年も生きてきたからだのことでさえそうなのに、それに対してわたしのカメラへの理解はあまりに浅い。
どう使えばどういう写真が撮れるのか、そのことがまだわかっていなさすぎる。
わたしの写真はまだまったくの出たとこ勝負で、たまたまなんとなく好きになれた数枚を選んでいるに過ぎないのかもしれない。
そこに何かが浮かび上がっていればいいなとかその時の時間がそこに広がればいいなとか、そんなのは一方的な願いであって、それを信じすぎたり甘えたりしてはいけない。

まあ、勘のようなもののことに耳をすますこともたいせつだから、それはそれで続けるのだけれども。