写真のみかた、中平卓馬『Documentary』

中平卓馬『Documentary』を見に行った。

カラーはなにか、実際のそこの気温よりも高い感じではみ出ている気がした。
選ばれたことに被写体は居心地の悪さを感じてはいない。でもなんかちょっと意外な姿でそこにいるかんじ。意外な切り口、なのかなぁ。水分と温度に関係ある、ずれ?
そのものの量よりほんのちょっとかさを増した存在感みたいな。
モノクロは、そうかー、こういう場面を切ってもこういう感触になるのかぁ!って全然具体的な感想じゃない感触だけ持ち帰ってきた。

展示とまったく関係ないけど印象的だったのは、あの部屋に鏡があることを知らなくて、何となく次の部屋に行こうとしたら急に誰かが現われてそれが自分だったこと。
今の私は身体的な感触やしかけのようなことに興味があるのかもしれない。その場所との関係性が作品となっているような。
そういう受け取りの器を持って写真展に行くと、なにか満ちずにぽつんと軽い固まりだけ置かれた気持ちになることがよくある(ような気がする)。
見方が違うのに、それをまだよくわかっていないかもしれない。
「自分にとっての」写真の見方、ということだけれど。
そういう時は強い(私が受け取りやすいという意味での)ものしか受け取らないってなっているのかも。

そこにかけてある作品からだけではなくその作家を知ることも今の私には欠かせないことみたい。
味わい方を模索しなきゃ。