みつめる姿、きっと手をのばしつづけることだけでは





淡路島で一緒に踊った三枝はなちゃんとご飯。

ときどきとてもほっとさせられる存在っている。
幼稚園の時におねえちゃんみたいだったなおちゃんとか、小学校のとき甘えていたけいちゃんとか、おとなになるまでにそういうひとは何人かいて何がそんな感触を自分に与えるんだろうと考えてみたけれど、もしかしたら眼差しなのかもしれない。

淡路島で海や浜辺を散歩したとき、風車の下で、それぞれが思いおもいの場所に立ってそれぞれの景色を見ていた。
なにかを眺めるその姿にはそのひとがずいぶんとあらわれるものだなあと、写真を撮るようになって気がついたかもしれない。

今日はなちゃんと話して、はなちゃんの遠くの見やりかたがどうして私のこころを惹いたかということが、ちょっと分かった気がした。
そしてそれは今わたしの根っこが欲しがっていることに、やっぱり重なる。

+

AAPAの忘年会&打合せ会(?)。
ときどき呼んでもらっている一ダンサーにすぎない気がしていたのに、ああして加えてくれたことがほんとうに嬉しかった。
しあわせな話もきけたし。


強く求めすぎるからぎくしゃくしちゃうんだと思っていた。
もらえないことが怖いから手を出せないのかなあ、って。
でもそんな恐さはちゃんと内部でやりくりして、ほんとうは飛び込みたいんだと思う。

わたしが憧れ、求めているものは、もっとも遠いところにある。
自分のいちばんふかいところ、に。