* そこここに芽吹く



さくらが景色に淡くとけこんでいる。
かたかったつぼみがゆるんできたり、芽の産毛がふくらんできたりをいちいち口にして、春の訪れを喜ぶ。
花粉や梅雨の季節だから春はいつも靄がかかったようにしか思い出せないのだけれど、やはりこうしてただなかにいるとやさしい鮮やかさに目うつりする。


補助なしの練習、私は緑のフェンスに囲まれた、家から5分くらいのグラウンドでしたなあ。
かくかくした灰色の細かい砂利の敷き詰められたグラウンド。
キャッチボールもよくした。
父は私にグローブを買ってくれて、軟球で剛速球を投げてきた。
軟球って字だけ見るとやわらかいボールかと思うけれど、表面も全然やわらかくないしゴムが詰まっているみたいに重たくて、ぶつかるとやはり痛い。
ボールが恐いもん、と砂遊びをしている弟の傍らで星飛馬のように鍛えられていた。

買い物を終えた両親が私のそばにやってきて、自転車の練習をしている親子を見る。
あんな時期もあるのよねえ、としみじみ母が言う。
子供だった私が今、成長する子供を写真におさめる。


お父さんやお母さんを写真に撮りたいと思うようになった。
先行き短いから…とか縁起でもないことを考えているわけじゃなくて。
ひとを撮りたいと思うようになった。
私の周辺のことを撮りたいと思うようになった。
撮ってどうしたいかは分からない。
今まではいい感じの写真が撮れてそれをブログに載せるのが楽しかったけど、なんか多分そういうことだけじゃないみたい。
自分の手の中に残したいような、感覚。
残したいのはもちろんそのひとじゃなくて(留めておけるものじゃないとわかっているし)、多分私のそのときの気持ち、一瞬の感情なんだろうな。
私の皮膚が接している世界の光景と、内部から見つめているわたしの、バランスの取れる場所。

友達とかも本当は撮りたい。
ご飯を食べながら笑っている姿とか、踊っている姿とか、ちょっとした後姿。