紫陽花、がっかりの出来
ちゃんと季節のものを。
しかし写真を撮るときに頭になにかしら既存のイメージを持ったときには、こぢんまりとまとまってしまう気がする。
そのイメージを追っているつもりはなくても、すでにもうそういうふうに見てしまうから。
今回はこれしかない、と思って1日おばあちゃんちにいって撮影をした。
いい手ごたえがあった。
いつもの写真屋さんに現像に預け、今日受け取りにいった。
普段そんなことは考えないのになぜか、すごくいやな予感がした。
一本もなにも写っていないような気がした。
写真屋さんに行くと予感は当っていて、1本のフィルムが機械の不具合でちぎれてしまったと言う。
見せてもらうとそんなに重要な1枚じゃなかったから、大丈夫ですよと引き取ってきた。
予感は当ったけれど被害はほとんどなかった、とほっとした。
けれど家に帰ってみてみたら、9本のフィルムほとんど全ての写真に引っかいたような傷がまっすぐ入っていた。
どうにか誤魔化せるものもあったけれど、暗い写真はまるで折りたたんだみたいに見えて、使えない。
とてもがっかり。
写真はなまものだから仕方ないけれど、丸1日かけておばあちゃんと過ごした時間は取り戻せない。
一度ほっとしただけになんだかよけいにがっかり。
写真ってこんなにもいろんなことを費やすものなんだな。
フィルムで撮るようになってから時間もひかりのことも、もっと細かく砕くようになった。
けれどどうして悪い予感というものは当るんだろう。
いい予感は当ったためしがないのに。(←それは予感と呼ばない
残念すぎるからあじさいで気持ちをごまかしてみる。